「舞姫」の授業:第4段落の読み取り

 今日の授業は古典1コマ、現代文2コマ。いずれも文系のクラスであった。
 「舞姫」はまず第3段落のもう1つの質問を取り上げる。

4.二つの「我が学問は荒みぬ」で、豊太郎は何を残念がっているのか?

 これを理解するために、豊太郎が相沢謙吉から助けを受けてベルリンに残留することになり、エリスの助けで「憂きが中にも楽しき月日を送りぬ」ということになった経過を確認する。そして、その「憂き」と「楽しき」は具体的に何を指すのかを生徒に聞いた。生徒は「憂き」は貧乏な生活、「楽しき」は「エリスと一緒に生活すること」と答えてくれた。そこで私は、豊太郎がエリスが助けの手を伸べて、エリスの家で暮らすことになった時、「寄寓」という言葉を使っていることに注目させ、その意味を調べさせた。「寄寓」とは「他人の家で生活すること」という意味である。そう、豊太郎はエリスと「離れ難き仲」になっていながら、エリスのことを「他人」だと認識しているのである。だがそれは、豊太郎が人でなしだからでもないだろう。むしろ彼の「憂き」があまりに深いからだろう。そこで、その「憂き」を「立身出世の望みを絶たれ、日本にも帰国することができなくなってしまったこと」も含まれるだろうと説明した。
 その上で4番目の質問について説明した。ここでは「民間学」にいくら精通しても、「官学」であるアカデミックな学問、つまり法律学・政治学を大成できなかったことを、つまりは立身出世に役立つ学問を大成できなかったことを嘆いているのだと説明した。豊太郎はずっと、できることなら日本に帰国したいと思い続けているのである。方法は何も思いつかないだろうけれど。彼は自ら主体的にベルリンに残ったのではない。状況が彼を流し、ベルリンに残留させてしまっているのである。
 それらのことを確認して、第4段落の読み取りに入る。ここでの質問は以下の通り。

1.豊太郎が「今朝は日曜なれど、心は楽しからず。」と思うのは何故か?
2.エリスが正装した豊太郎の姿を見て、「我をばゆめな捨てたまひそ。」と不安がるのは何故か?

 今日取り上げることのできたのはこの2つだけであった。
 1について、第3段落の終わりで読み取った内容を踏まえて考えると、豊太郎は日本に帰国したいという思いをずっと温存させていたはずである。それならば、エリスの妊娠の可能性が出てきた時、これでベルリンに残留しなければならない責任が生じたことは、彼にとっては残念なことであるに違いない。それで「心は楽しからず」となったのだろうと説明した。
 2について、エリスの鏡に映った、自分の正装した姿を見て、豊太郎はこれから会いに行く友は青雲の彼方で活躍しているが、自分は下層階級に沈んでいると思って会いに行きづらく、そのため「不興なる面持ち」をしているのだろう。だが、同じく正装して鏡に映った豊太郎の姿は、エリスにとっては初めて自分と出会った時の姿に近いものであるはずだ。つまり、まだ豊太郎が高級官僚としての立場にいた時の姿である。それを見た時、その隣に映っている自分の姿は貧民の出の小娘に過ぎない。その落差を実感した時、彼女は豊太郎がこのまま自分から遠い存在になってしまうのではないかという心配がよぎったのだろう。そのために不安に思ったのだ。これらのことを説明した。
 今は、生徒に多少は発問したり考えさせたりしているが、基本的には教師による説明を中心に授業を展開している。だがこれは、その前に生徒に話し合いをさせて、自分たちで読み取りをしているからである。その時の自分たちの読み取りを、教師による説明によって再確認して欲しいと思っている。そのため、少々説明ばかりであるが、授業を進めている。