話し合いによる「舞姫」の授業3の2クラス目

 昨日と同じ内容の話し合いを、もう1つの別のクラスで行った。このクラスは部活動の公欠で今までの2時間ではまともにクラスがそろったことがなかったのだが、今日は全員がそろった。良かった。でも、今日初めてこの話し合いの授業に参加する者もおり、生徒同士の熟練度の違いが徒となっているかもしれない。
 そのせいか、昨日の別のクラスほどの盛り上がりは今回も見せなかった。ただ、ミニ・レッスンでは集中して個人作業に取り組んでいたし、話し合いも45分間実に集中してくれた。ただ、今週あたりから来月に予定されている体育祭の準備が本格化してきているので、疲れが溜まりかけている生徒もいるようだ。先週よりはやはり切れが悪い。
 その中でも、振り返りの時間で発表させたグループは、明治という時代が日本の近代化が進んでいた時代で、その近代化のために豊太郎のようなエリートの活躍は期待されていた、という主旨のことを発表してくれて、これまたその的確な判断に驚嘆した。本当に、2回目の話し合いあたりから生徒の話し合いの内容や振り返りでの発表内容に驚嘆すべきものが多く現れるようになってきた。昨日のように豊太郎の母の手紙の内容を推測するものや、今日のように日本の近代化における豊太郎の立ち位置など、この「舞姫」の核心部分に相当する内容をしっかりと捉えて、自分たちの意見に活かしている。私は全く何も教えていないのだ。私がしたことといえば、話し合いの前に本文の4分の3を朗読したことと、話し合いの最中に生徒たちをあおり立てたことだけだ。それなのに、彼らは的確に文語文を理解し、物語の流れをつかみ取り、登場人物たちの心情を把握し、テクスト以外の情報にアクセスして自らの読みを複眼的に深めていった。いやぁ、大したものである。
 だからこそ、次の時間で書かせる各自の「舞姫」論の形式を策定するのに頭を悩ませている。できるだけ彼らの自由な発想に委ねたいし、かといって書くことの指導は昨年度末の小論文指導でほんの少し触ったに過ぎない状態である。そこを重視するならば、ある程度の誘導は必要だろう。この誘導の程度をどこまでするべきか、悩みに悩む。一応誘導する方向でのワークシートは作り終え、印刷もしたのだが、今になってまた迷いだした。いっそのこと生徒に2つのワークシートを示して、好きな方を選ばせようか。もう少し、考えてみよう。