哲学的思惟へ招待した

 今日の授業は現代文2コマと古典1コマである。現代文は大森荘蔵の「真実の百面相」がいよいよ佳境に入ってきた。今日で現代文2コマのうちの1クラスは私の解説を終えた。次からは別の教材に移る予定である。
 いろいろ考えたのだが、大森荘蔵の主張を生徒に理解させるためには、哲学的な思惟の一端でも紹介すべきではないかと考えた。そこで、生徒に「自分が死んだ後、世界はまだ続いているか?」という質問を投げ掛け、臨席同士で話し合わせた。そして、世界がそれ自体として独立して存在していると考える見方と、世界とは自分自身が認識したものそのものであると考える見方とがあることを紹介した。「認識論」というのだろうか、哲学的思惟として古来有名なものであると思う。このことから、「人にとっては、世界とは自分が認識できたものそのものであるならば、私とあなたとでは認識し得た世界はもしかしたら違うかもしれない。つまり、私とあなたが一緒に見ている世界はもしかしたら違うものかもしれない。だが、人はそれを永遠に確認することはできない。」という哲学的思惟を紹介した。こうしたことを紹介することで、生徒に哲学的思惟について少しでも自分自身で考えて欲しいと思ったし、そうした見方・考え方もあるのだということで彼らの認識を広げて欲しかったのである。
 この考え方を印象的な形で示したのは、私にとってはNHK教育でかつて放映していた「ドラマ愛の詩」シリーズの一作品『幻のペンフレンド2001』である。異世界からやって来たアンドロイドの少女と人間の少年との恋物語なのだが、その二人が逃げ惑う時に、「僕と君とが見ている世界は違うものなのかもしれない」とつぶやく場面がある。その時の寂しさというか切なさというかが非常に印象的であったのだ。
 こうした哲学的な思考について生徒にも考えて欲しいものだなぁ。これを考えることでどんな直接的利益があるのか分からないが、根源にまで立ち返って考えるという思考スタイルと、そこから出て来る非常識的な考え方に対する寛容さとを、生徒には身につけて欲しいものだな。
 さて、明日は「ある試験」の第二関門が待ちかまえている。今日はその準備に追われた。ともあれ、アドバイスをたくさん受けることとしよう。

まぼろしのペンフレンド (講談社青い鳥文庫)

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