ルイーズ・ローゼンブラットの「交流理論」

 今日も新潟市は雪の中である。時折陽射しが明るく照らすのだが、気温が低くて道に固まっているアイスバーンがなかなか溶けない。歩いて通勤する身には危なくて仕方ない。もっとも、数分で着いてしまう恵まれた環境にありますから、文句は言えないのだけれど。
 授業は2コマ。10組の古典と5組の現代文。古典は順調に進み、「若紫」の尼君の歌にさしかかるところまで来た。「生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき」。幼い若紫への愛情と心配とがない交ぜになった、いい歌である。この「いい」という感情面をしっかりと生徒に味わわせたいなぁ。
 5組の現代文は「「である」ことと「する」こと」の文章構成の分析の仕上げである。このクラスは前回の4人グループによる分析がある程度進んでいたので、他のクラスのようにジグソー学習もどきはやめて、そのまま4人グループによる分析を続けさせた。その代わり、10分後に「出店方式」をおこない、グループの一人が説明役として残り、他の3人が他のグループの所に取材に行って交流を行わせることにした。3回シャッフルを行って、3つのグループに回れるようにしたが、そこまでする必要はなかったな。最後の方はほとんど雑談の方が多かったようだ。最後に取材結果を元のグループに持ち寄り、最終的な結論をまとめさせた。そして、私の考えとつき合わせた。うーん、そうではなく、検討結果を提出させれば良かったな。今になって気付く。
 というのも、昨夜は久しぶりに「完徹」だったのだ。少し居眠りはしたけれど、一晩中ずっと書斎にこもり、ひたすら準備をしていた。今日の夕方から大学院の授業があり、私が発表の順番に当たって、これまでの研究成果の経過発表をすることになっていたのだ。そこで、その準備に一晩中かかり、さらに空き時間などを使って準備をしていた。15時過ぎにようやく資料が完成した。もうフラフラである。ここまでフラフラしたのは久しぶりだ。
 テーマは「ルイーズ・ローゼンブラットの『交流理論』」について先行研究をまとめることだ。私は話し合い活動を高等学校国語科の読むことの授業に取り入れたいと思っている。その理論的背景と実証された効果とに基づき、効果的な授業開発を行いたいと考えている。それらの実践の理論的バックボーンとなるのがこのローゼンブラットの理論である。
 そこで、まずはローゼンブラットの理論を紹介している先行研究を集め、その抄録を作成することにした。調べた限りでは先行研究は10本ある。そのうち2本は今回のまとめに間に合わなかったので、8本の論文・書籍を読み、その抄録をまとめて、自分なりの考察を加えることとした。
 しかし、抄録を作ることは意外に難しい。早稲田大の向後千春先生のブログの「院ゼミコラム」にある「研究のための学術書の読み方」を参考にして抄録を作ろうとした。だが、実際やってみるとなかなか難しい。今回の授業では、国語教育の先生以外の指導教員も参加する。そこで、抄録でありながら多少一般性ももたせなければならない。そのため、単純な論文の「ハイライト」をまとめるだけではダメだろうと思い、各論文のやや詳しめの要約を書くことにした。だが、こうしたことにまだ慣れておらず、論文からの引用がかなり多くなってしまった。
 向後先生によると「A4判半ページくらいの『文章』で書く」のである。「その本が一番主張したいところを切り取り、一言でまとめる。そしてそれに加えて、自分なりの批判を書く。つまり、著者の主張のまとめとそれに対する批判を書く」ということだ。うーん、これができるようになりたいなぁ。練習・心がけあるのみだな。
 授業は約1時間ほどで終わった。指導教員から非常に有益なアドバイス、助言をいただいた。これは本当にありがたい。しかし同時に、それは大きな宿題を背負ったことにもある。とりあえず「ほっ」として、さてこれからまた体勢を立て直さなければ。