話し合い活動の意外な盛り上がり

 今日の授業は現代文が9組と5組の2コマ、古典が10組と7組の2コマであった。1年生がスキー教室に行っているため、明日までスキー特編授業である。おかげで今日・明日とそれぞれ4コマずつの授業がある。なかなか疲れるね。来週の大学での授業の発表のために準備をする時間が欲しいのだが、それがなかなか取れずに困ってしまう。さらに子どもが2人インフルエンザにかかり、家からは「とっとと帰れコール」が鳴り響く。うーん、これは睡眠時間を削るしかないなぁ。
 現代文では三角ロジックの枠組みを使って「「である」ことと「する」こと」の文章構成の分析を進めている。9組では形式段落ごとに三角ロジックの枠組みを当てはめてみることを始め、最初の部分は調子よくスタートした。5組は最初から形式段落ごとに扱うことにする。そこで、5組は本来対照実験用として話し合い活動をしない予定だったのだが、9組もその予定だったのに話し合いをさせたし、何しろ少しでも5組の授業の雰囲気を活性化させたいと思ったので、話し合い活動で作業を進めさせることにした。そうしたら、普段の授業で「隣同士で相談してみよう」と言ってもほとんど何も反応しないこのクラスが、4人グループで机を合わせさせて一緒に考えさせたら、意外にもまあまあ活発に話し合いをし始めた。これには意外だったなぁ。もちろん、それでも話し合いの進まないグループはある。まあ、課題自体が決して話し合いをしなければ解決できないような種類のものでもないし、話し合いをしないのは理解できる。それから考えると、彼らの示した話し合いの様子は「意外にも」活発であった。
 しかし、この話し合いによって文章を読んでいく際にも「審美的読み」と「導出的読み」が交互しながら働いているはずだ。それは文章の理解にどのような関わりがあるのかなぁ。「審美的読み」は自然な読みの姿なのだが、それが説明的文章の理解にどのような影響を与えるのか、興味がある。これが、私のテーマと関わりがあるだろうか。