三角ロジックの構造を用いた評論の文章構成読み取りの授業

 今日の授業は現代文と古典1コマずつ。しかも、3組と2組と、昨日とまったく同じ。授業が進むこと。特に現代文は今年になって初めての授業だが、既に2時間目。どうやって『「である」ことと「する」こと』を読み解かせるか、悩みに悩んだ末、ツゥールミンの三角ロジックの枠組みを使い、この文章における構成を読み取らせることを思いついた。
 ツゥールミンの三角ロジックとは、論理的思考における最も基本的なパターンのことである。ある「主張」には必ず「根拠」が必要だが、その「根拠」は「データ」と「理由付け」の2つによって構成される。よって、「主張」は「データ」と「理由付け」を底辺とする三角形の頂点に位置するような形で支えられる必要がある。それで三角ロジックという。下記のサイトが参考になる。
http://www.logicalskill.co.jp/logical/triangle.html
 『「である」ことと「する」こと』は周知の通り、丸山真男の講演からの評論である。そして、岩波新書に収録された文章が基になっている教材だ。本校で使用している明治書院の現代文の教科書は『丸山真男集』に収載されている文章の、結論に至る部分をカットし、残りに独自に小見出しをつけて6つの意味段落を設けている。これは「本を読む」という普段我々が行っている行為の対象となる文章とは恐ろしくかけ離れた、極めていびつな文章である。このあたりから不満があるのだが、仕方がない。これは明治書院1社の責任ではない。全ての教科書がこうした形で教材を構成している。日本の教科書の根本的な問題点が露呈している。
 ともあれ、この6つの意味段落において1つの大きな三角ロジックが成立しているはずである。何しろ意味段落は大きな1つの主張をしているのだからね。また、それが小見出しに典型的に現れているはずだから。そこで、上記のサイトに示されている三角ロジックの概念図を参考にして、三角ロジックのワークシートを作り、そこの「主張」・「データ」・「理由付け」の枠に、各意味段落からそれらに該当する部分を抜き出させる、という作業をやらせた。
 実際の授業では、生徒を4人ずつのグループにさせ、最初に文章全体の構成を確認させた。6つの意味段落を「前文ー本文ー後文」の3つに分け直すとしたらどうなるか、という作業をまずやらせ、特にその中の「問題提起」と「結論」の部分を確認させて、この文章が全体として日本の社会の問題点を指摘しているものなのだということを確認させた。
 その後で、上の三角ロジックのワークシートを配布し、まずは最初の意味段落についてワークシートの枠に該当する部分を、グループで相談しながら埋めてみるようにさせた。最初の意味段落は比較的簡単だと思ったので、まずは練習である。
 この作業は15分くらいしか取れなかったのだが、生徒はワイワイと言いながら熱心に取り組んでくれた。いやいや、大したものである。そもそも、最初に「三角ロジックって知っている人いる?」と聞いたところ、1人が手を挙げたのにもびっくりした。さすがである。中学校で扱ったことがあるのかな。もしそうなら、本当に高校の国語の授業は時代錯誤の方法をいつまでも繰り返しているものである。
 そうやって生徒に作業をさせている間に、私も見回りながらいろいろと考えてみた。すると、そもそも形式段落の1つ1つに小さな三角ロジックがあるのではないか、ということに気がついた。形式段落もいわば1つの主張を持っているはずである。それならばそこに三角ロジックが成立しているはずだ。そしてそれが積み重なって、意味段落として1つの大きな主張をしているはずである。つまり、上記のサイトで解説されているような「階層的三角ロジック」が1つの意味段落に成立しているのではないか。だとすると、アプローチの仕方を少々変えなければならないね。
 もっとも、形式段落の全てが三角ロジックのパターンを備えているとは限るまい。形式段落には話題提示のみの場合など、文章の流れを整える働きをするものもあるはずだ。常に1つの主張を持っている、また常に「データ」と「理由付け」を備えている、とは限るまい。
 しかし、そこのところを生徒に考えさせながら1つの文章の構成を確認させるのは極めて有効なアプローチになるのではないだろうか。そしてそれが、極めて有効な論理的思考力の育成につながるのではないだろうか。
 さらにそれをグループで話し合いながら行うことに意味があるだろうか。それをどのようにして検証できるだろうか。
 いやはや、楽しい課題を見つけてしまった。(^_^)
 2組の古典は快調に進んでいる。光源氏が生まれたところまで進んだ。