『こころ』読解の授業

 5組での授業。このクラスは一番遅れていたのだが、この3日間は連続して現代文の時間がある。おかげで他のクラスと同じ所まで進めるだろう。既に試験範囲として設定した箇所は今日の授業で終わるけれども、そんな小さいことを言わないで、Kが自殺する場面まで何とか読んでいこうよ。ということで、ぐいぐいと授業を進めている。明日の授業でKの自殺の理由とその場面を読めるはずだ。
 このクラスは本当に反応が鈍い。こちらが「さあ隣同士で話し合ってみよう」と呼びかけても、まず話し合いは起こらない。数ペアがぼそぼそと話を始めるくらいで、後は私が書いた板書を必死に写した後、ぼーっと一人で考えている。そして、こちらが指名して考えを発表させると、とんちんかんな読み取りをしている。そういう読み取りを淘汰するためにもペア学習をさせているのにね。恥ずかしいからなのか、面倒くさいからなのか、このクラスの反応はどうもよく分からない。かといって、休み時間になると廊下に出てまで活発に動いている。決してクラスの仲が悪いわけではない。
 授業に対する体温が低いんだよね。学びに対する熱い思いというのがどうも低いようだ。教員の側から与えられるものを唯々諾々と受け取っていたい、という姿勢が強い。自分たちで獲得しよう、という熱さがない。でも、その熱さがなければ学びは起動しないだろう。
 この「熱さ」をどうやって生徒たちに持たせるか、そのための課題設定や環境設定をどうするか。これを考えるべきところに来ているのだろうなぁ。