「こころ」読解の授業

 今日は授業変更により現代文が3コマあった。9組、3組、そして5組である。9組と3組はほぼ同じ進度で、一番進んでいる。5組は逆に一番遅れている。9組と3組はKの2回目の襖開けの場面を終え、「私」がKを出し抜いて奥さんにお嬢さんとの婚約を申し出、そのためにKに良心の呵責を覚えながらも謝罪できない心情を扱う。5組はやっとKと「私」とが上野公園を散歩しながら、「精神的に向上心のない者はばかだ」と「私」が言い放つ場面を扱った。
 9組と3組は、できれば最後の土曜の晩の、Kの自殺の所まで進みたかった。どちらも試験前までに後1時間しかないのだ。自殺の場面、およびKの自殺の理由の検討はどうしても1時間が必要になる。それで、今日はその直前までは進みたかった。しかし残念ながら、奥さんがKにお嬢さんと「私」との婚約を話したことを「私」に告げる場面の手前で終わってしまった。
 それというのも、前回の授業でKの襖開けの意味について、なぜそう読み取れるのかをもう一度説明していたからだ。どちらも前回では生徒が何となく納得していないように思えたからだ。そこで、小説における人物の心情の読み取りには「事件・出来事」→(心情)→「行動・セリフ」の3段階があり、心情を読み取るには「事件・出来事」と「行動・セリフ」の二つで挟み撃ちにして、論理的にあり得る心情を読み取る、という方法をもう一度確認した。その上で、我々の今回の読みは「Kが「私」と同様に淋しくって仕方がなくて、急に処決した」ということを前提に読んでいることを確認した。これは今回の読解を始める前に私が説明して確認したことだ。その上で、Kが自分の理想の人生が崩壊していたことに気付き、自己の人生を清算しようとしているという「事件・出来事」を確認した上で、襖を二尺(60cm)開けて「私」を見ていたという「行動」を起こした時のKの心情を考えさせた。ペアで話し合わせた後、私が説明した。ここでKは「私」に自分の苦しみ・悲しみについて話をしたかったのではないか、しかし、「私」は「精神的に向上心のない者はばかだ」と言い放ったばかりなので、自分を軽蔑している、そんな「私」に自分の苦しみを打ち明けるたらさらに軽蔑されるかと思い、「私」に何も語ることができず孤独感に陥っている、と説明した。さて、生徒は理解してくれたかなぁ。首をかしげていた者もいたようだが。
 ともあれ、その後のお嬢さんとの婚約を申し込む場面や、家に戻った後のKの様子から良心が復活した場面や、「正直な路を歩むつもりで、ついうっかり足を滑らせたばか者」ということの意味などを考えさせ、今日の授業を終えた。もう少し進みたかったなぁ。