『こころ』読解の授業

 今日は授業変更のため、4コマの授業があった。現代文は3コマ。3組と9組と5組とである。3組は進度が一番進んでいて、教科書収載部分のハイライトの1つである、私がKに向かって「精神的に向上心のない者はばかだ」と言い放つ場面を取り上げる。ここはとても大事な部分なので、この節とその次の「覚悟、ーー覚悟ならないこともない。」とKが言う節との2つを最初に私が音読し、生徒にはその間、「私」について大事な部分は傍線を、「K」について大事な部分には波線を引くよう指示する。その後で生徒同士で線を引いた部分を確認させる。これをした上で、読解に入っていく。まずは本文に生徒をしっかり向かい合わせようという意図である。その後、Kが「理想」と「現実」との間を彷徨しているという箇所や、「私」が「精神的に向上心のない者はばかだ」と言う言葉が「Kにとって痛いに違いない」という理由や、Kが「ばかだ、僕はばかだ」と言った意図と、それを「私」が「居直り強盗のごとく思えた」ことの意味などを確認する。できればKの「覚悟」まで行きたかったのだが、さすがにそれは無理。幸い、同僚から授業をもらえそうなので、試験までの残り時間が延びている。十分終えることができるだろう。
 9組はこの3組の前の部分を読んだ。Kが、奥さんやお嬢さんが帰ってきて声をかけられたとき「心持ち薄赤くなった」理由を考える時はやはり面白いね。
 5組はこの読解作業にようやく入ることができた。Kが恋をするはずのない人間であることを確認し、そのKが恋をすることによって、「私」にとっては理解不能な不気味な存在に変貌したことを確認する。
 ところで、同僚によると、Kの「覚悟」についてあるクラスで生徒に聞いたところ、「お嬢さんに向かって進む覚悟」だと答えたそうだ。そこで同僚がいろいろと説明した後、「自殺する覚悟なんじゃないか」と説明したら、生徒から「えーっ!」という声が上がったそうだ。この同僚は丁寧に読解を進めている。しかし、初めから順番に説明するという授業タイプである。その点、生徒に最初から任せて話し合いをさせた私の授業の場合、Kの「覚悟」については既にどのクラスでも「自殺の覚悟」だという考えに至っている。とすると、やはり話し合いの授業はなかなか深い読みを生徒にさせることができるのかもしれない。
 生徒が書いた『こころ』論を見ていると、国語の能力があまり高くない生徒が与えた作文枠をはみ出して、裏側まで使って自分の論を書いていた。これは嬉しかったな。それだけの内容を彼の心の中に与えることができたのだろう、話し合いの授業は。
 なかなか実りは多そうだ。