教育実習生の授業を見る

 3週間前から教育実習生が来ている。国語科には珍しく3人も実習生が来た。今週の火曜日には彼らの研究授業が行われた。しかし、その日は私が多忙で、研究授業を1つしか見ることができなかった。そこで今日、わがままを言って一人の実習生の授業を後半のみだが参観させてもらった。
 その実習生はこの授業が最後の授業である。現代文の授業で、高階秀爾の評論を扱っていた。美術論であり、美が対象にあるか見る者の心の中にあるか、という美学の根本を扱った文章である。
 どんな扱い方をするのか楽しみにしていたが、なかなか堂に入った授業をしていた。接続詞によって文章構成をとらえるのだと最初に指導していたそうだが、それをきちんと踏まえて、文章に出てくる接続詞を黒板に板書し、その後に展開される文章を一般的な考えと筆者の主張とに分けて、文章構成をきれいに追っていた。その解説や生徒への発問とその対応、板書の仕方等々はもちろんまだ未熟な点もある。だが、あの授業の進め方は生徒に一つの方法を徹底して身につけさせるということにおいて見習うべきものだと思った。いやはや、大したものである。
 授業の後、私のところに来てくれたので、大いに誉め、またアドバイスをした。そして最後に質問をされた。私は実習生への最初の挨拶で、「自分が教育実習に来たことで教員という仕事に興味を持った」と話した。そのことを覚えていてくれて、そのことについて質問したのだ。そこで、私の教育実習での経験を話し、辛い中にも何か手応えを感じたことを話した。すると、その実習生も同様に、もともと教員になる強い気持ちは持っていなかったが、この実習を通してある手応えをつかんだことを話してくれた。少し涙ぐんでいたね。あるクラスで授業を終えた後、生徒に「わかった?」と聞いたところ、「よくわかった!」「初めて文章の意味がわかった」などと話していたそうだ。いい手応えだね。生徒の反応が何よりの手応えである。
 いやぁ、私と同じ経験をする人が現れるのだねぇ。28年間の時を超えて、私が経験したことを同様の経験をこの実習生はつかんでくれたようだ。非常に嬉しい。
 願わくば、私がその後歩んだように、この実習生も(他の二人ももちろん)ぜひ教員をめざして欲しい。私の時のように広い道ではないけれど、そもそも「なろう」と思ってくれなければ教員になれない。頑張って欲しい。