「山月記」第5段、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」

 5組と3組での授業。3組は第3段の後半と第4段の前半を扱ったが、5組はいよいよ第5段、「山月記」の核心部分に入っていった。
 ここではやはり、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の内容を十分に理解することが大切であろう。生徒は、李徴が他人に対して尊大な態度を取った理由として、ちゃんとこの「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を挙げることができた。問題は、これの内容を理解することである。
 私は最近は、スモールステップを意識させて、問いを発することにしている。大きな問題を理解するためには、問題を小さな問題群に分解し、その一つ一つを考えていって、全体としてつなぎ合わせる、という手法を生徒に示し、黒板にまとめている。この「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を理解するためにも、このスモールステップは有効である。
 まずは「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が文章では交互に使われていることを指摘し、二つはほぼ同じ意味であることを確認させた。
 次に、「臆病な」には「羞恥心」がつながる方がむしろ普通であり、「尊大な」には「自尊心」がつながる方がむしろ普通だと指摘した。つまりこれらは正反対の概念が結びついているものだと言うことを確認させた。
 さらに、「臆病な自尊心」の説明として、「自尊心が強すぎて……」という書き出しを用意し、これがどのようにして「臆病」につながっていくのかを考えさせた。指名して答えさせたところ、生徒は「自分が失敗するのが嫌で臆病になる」と答えてくれた。素晴らしい! ちゃんと彼らはこの内容を理解することができている。そこで、「自尊心が強すぎて、失敗したり、才能の不足を指摘されたりすることを恐れて、他人に対しては臆病な態度になる」とまとめた。「尊大な羞恥心」もほぼ同様の手だてを用いた。こちらはあまりはかばかしい解答を得られなかったが。
 考えてみると、同様の感情は生徒も持ったことがあるはずである。本校の生徒会誌には本校独自の用語集がある。その中に、「今度の試験ヤバイ」というのがある。実はこれは「裏ではしっかり勉強していること」という意味なのである。これは、口では臆病なことを言っていながら、内心では失敗を恐れ、不勉強を指摘されまいと、必死で努力している姿を示している。この表面の行動とは正反対の内心を持つということは、生徒にも身近なものであるはずだ。
 この部分の理解が進めば、後は比較的簡単である。本文での説明として「己の珠にあらざるを……」の箇所を指摘させ、その後の李徴の態度と行動を整理していった。少し時間が足りず、李徴が虎になった原因を自覚するところまではいかなかったが。
 なかなか面白い展開をした授業だった。半徹夜明けのフラフラした頭だったのだが、悪くなかった。