「山月記」は、どんどん急ぎたいのに……

 9組での授業。未だに第3段の、李徴が恐れていることからスタートする。ただし、このクラスでは、李徴が恐れる2つのことを確認していく中で、「おれにとってしあわせ」の、「しあわせ」に傍点が付いている理由を生徒に確認させた。この答えがなかなか定まらなかったので、こりゃおもしろいと思い、いろいろとつついてみた。まずは、「この『しあわせ』には2つのしあわせが対立して重ね合わされているわけだが、何と何か?」と問うてみた。「虎のしてのしあわせ」と「人間としてのしあわせ」であり、「虎としてのしあわせ」が実現すれば「人間としてのしあわせ」が消失してしまうことを答えて欲しかったのだ。だが、生徒は「虎としての己の残虐な行為を振り返らずにすむことが人間としてのしあわせだ」と答えた。あれっ? それは虎としてのしあわせじゃないのかな? ということで、この議論を重ねるうちに「人間としてのしあわせ」とは何か? という問いを生徒に投げかけた。生徒は「詩を作ること」「正しく生きること」「いろいろなことを考え、感じること」などと答えた。なかなか悪くないが、この議論の流れに乗るならば、「虎としての自分について苦悩する、その苦悩すること自体が人間である証しであり、人間としてのしあわせと言えるのではないか?」と生徒に示してみた。これは、話を追っていくうちに新たな面を見いだすことができた、面白い経験だった。生徒自身はこれを追体験できたかなぁ。
 その後は第4段に入る。李徴が自作の詩の伝録を依頼する理由を考えさせる。小説本文を確認させて、名誉欲によるのではないことを確認させる。そしてもう一度隣同士で考えさせたところ、先の李徴の「しあわせ」の流れを受けて、「人間として生きた証」である、という声が聞こえてきた。なかなか良いね。第3段から第4段へとうまく流れが乗った授業だった。
 だが、今日はできれば第4段を終わってしまいたかったのだ。かなり進度が遅れている。困ったぞ。