「山月記」の生徒の解答を検討する

 8組と3組での授業。8組は小説の場面分けを終え、第1段の読解に入る。昨日の5組でやったことと同じだ。生徒の疑問プリントを配り、生徒に5分間ほど解かせ、隣同士で解答を確認させ合い、2人に解答を聞いてみた。

問 李徴が官吏をわざわざ辞めて、詩家として、名前を死後百年に残そうとしたのはなぜか。

これに対する生徒の解答はこういうものであった。

答1 他人と一緒に仕事をするのが嫌だったから。
答2 上司の命令に聞き従って仕事をするよりも、一人で自由に詩作をしたかったから。

答1よりは答2の方がまだ正確である。だが、これでは片方のことにしか答えているに過ぎない。つまり、「官吏を辞める」ということの説明にはこれらの解答でよいだろう。しかし、ではなぜ「詩家」になろうとしたのかということは説明されていない。李徴は「官吏」よりも「詩家」になろうとした。それには「官吏」の短所だけがあるだけではなく、「詩家」の長所という積極的な理由があるからのはずだ。このことをまずは指摘した。
 では、どう考えるか。ここで本文の記述をもう一度確認させた。本文は「詩家としての名を死後百年に残そうとしたのである。」と述べられている。つまり、「詩家」である方が「官吏」であることよりも、自分の死後も名前が残る可能性が高いのだ。では、「詩家」と「官吏」の違いは何か。ここでまた本文の記述に「賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」が注目される。つまり、「官吏」は仮に名声を博すことができたとしても、所詮それは「俗世間」での名声である。しかし「詩家」として名を残すことができれば、それは高尚な「芸術」という世界での名声である。李白杜甫の例を持ち出すまでもなく、詩人としての名は死後百年どころか千年を優に超えて残り、さらに中国にとどまらずに全世界に広がる。「詩家」として名が残ることは、他には得難い名誉なのだ。
 ここから、李徴の心情がうかがえる。彼は、決して「詩」を愛していたわけではないのではないか。彼にとって「詩」とは名声を博すための道具であり、彼が官吏を辞して詩歌になろうとしたのは功名心からである。彼の強烈な功名心を、この箇所から読み取れるのではないか。
 こんなことをやっていると、他の設問を考える時間がなくなってくる。でも、じっくりと考える設問と早く片付ける設問とを組み合わせて進めていきたいと思っている。