「家居のつきづきしく」で、古典の授業に問題があるか?

 10組の授業。3時間目かな。それでいて、今週はもう授業がない。理系・理数科は前期は古典が2週間で4回となる。文系は2週間で5回。進度に差が生まれるはずである。
 今日は文法的に一番説明を要する箇所にさしかかった。それでも生徒にさせる口語訳が相変わらず的確なものであるため、解説もスムースに行く。だけど、口語訳は実にきれいに訳すのだが、文法的な説明を求めると生徒は結構しどろもどろになる。うーむ、やはりガイドなどを使っているのかなぁ。自分で訳してみる、ということをしていないのかな。自分で訳すことをしなければならないような授業設計になっていないのかなぁ。
 私の授業は、まず生徒に指名して、適当な箇所を口語訳させる。そして、それを聞きながら文法的におかしな所を指摘して修正させる。その後で、文法的な説明などをして、口語訳を完成させる。その繰り返しをしていっている。だが、生徒というのは教室で指名され、間違えることを極端に嫌う。そこで、最初から完璧な訳をしようとする意識が働くとしたら、彼らはガイドを買い求めるだろうなぁ。
 予習課題のプリントを作っているのだが、それも生徒の自主的予習力を弱める結果になるのかなぁ。与えられることを待つだけの生徒を育てているのかもしれない。
 うーむ、難しいね。