電子掲示板の授業活用実態

 今日の授業は9組の現代文と10組の古典。それぞれ「材のいのち」を、設問の考え方・既有知識の働かせ方を解説しつつ解説していったり、「帰京」に入って、紀貫之の自邸の位置を確認させたり、十六夜月・立待月・居待月・寝待月などの解説をしたりした。
 午後は、電子掲示板が国語科の授業でどのように活用されているかの実態を調べるため、ネットで検索して事例を集めた。いくつかの事例を得ることができた。小学校が主で、時々中学校での活用事例がある。珍しく高校での事例があると思って、喜んでクリックしてみたら、私がセンター時代に扱った授業や講座だった。な〜んだ。でも、逆に言えば、それだけ高校での活用事例は乏しいのかもしれない。
 それらの事例を一瞥してみて気づいたが、自分のものも含めて、電子掲示板を児童・生徒の意見交流に使ってはいるものの、ただそれだけなのである。つまり、電子掲示板に子どもの意見を書き込ませ、それを互いに読ませて、コメントを入れる。ただそれだけ。電子掲示板に意見を書き込ませ、それにコメントを入れることで意見交流が成立するとしている。だが、果たしてそうだろうか? 果たして、それで生徒の知見は深まっていると言えるのか。そもそも、そうした活動は電子掲示板でなければ成り立たないことなのか。回覧作文でも同程度の交流は十分できるではないか。電子掲示板をあえて活用する理由が見えない。
 整理しよう。

  1. 電子掲示板によって新たな知見を生み出す、交流を起こすための意図的な仕掛けがない。
  2. 電子掲示板という特性を真に活用した実践と言えるのか分からない。

以上2つの疑問点が湧いてきた。
 『デジタル教材の教育学』(山内祐平著・東京大学出版会)によれば、BBSなどを利用して授業を行うことには社会構成主義という背景理論がある。その社会構成主義に基づく仕組み・仕掛けを導入していかなければ、真に電子掲示板を活用する意味はないのではないか。
 では、どのようにデザインをしていくべきなのか。私が考察すべき流れが見えてきたようだ。

デジタル教材の教育学

デジタル教材の教育学