府中集会の学び会に参加する

 私の通う集会と同じ信仰で集まっているものとして、東京都府中市にある集会がある。その集会では毎年この時期に特別学び会を行っている。私は今回、その学び会に学び手の一人として招かれた。そこで、水曜日には授業を午前中にまとめてもらい、LHRで科目選択を生徒にさせた後、東京に向けて出発した。ちょうど退勤時に重なったせいか、東京駅から府中市までの電車は混み合っていて、ずっと立ちっぱなしであった。いやはや、疲れた。
 さて、その学び会である。宿泊したホテルの朝食で、今日ともに学ぶ兄弟と通訳をされる兄弟と食事をする。通訳をされる際のご苦労をいろいろ聞かせていただいた。これだからクリスチャンの交わりは幸いである。神様の御栄光が表されるために、様々な兄弟姉妹が様々にご苦労をされる。その一端を知ることができた。
 学び会は「ルミエール府中」という公共の立派な会場で行われた。東京は一日中雨だったが、近くのケヤキ並木(?)がとてもきれいだった。
 今回は私が午前の最初に学び、次にイギリスから来られた兄弟が通訳付きで学ばれる。午後からはもう一人の兄弟が学び、最後にイギリスからの兄弟が2回目の学びをされる。4回の、私以外は豪華な学び会である。
 私は詩篇から学んだ。もう2年がかりになるだろうか、私は学び会を依頼されると詩篇を学ぶことにしている。詩篇は私が前から好きな箇所だが、あまり学ばれることのない書である。しかし、外国では詩篇の学びは大変盛んなようで、幸いな解説書も何冊もある。しかし、何故か日本の兄弟で詩篇を学んだ方は寡聞にして聞いたことがない。それを物足りなく思っていたのだが、それなら私が学んでみようと思い立ったのだ。10数年前に一度挑戦したことがあるのだが、それは正直言って失敗してしまった。あれから約10年後、少しはましな学びができるかと思い、神様に祈りつつ準備をしている。
 私は詩篇から学んだのだが、次のイギリスからの兄弟は、朝食で通訳をされる兄弟から伺ったところによると、レビ記のささげ物・いけにえについて学ぶと言うことだった。しかし、この兄弟は学びの壇に立った時に神様によって導かれたところを学ぶという方だそうだ。そりゃすごい、と思ったが、事前に何も聞かされない通訳の兄弟には大変なことだろうな、とその時は聞いていた。さて、このイギリスからの兄弟は、私の話の後を受けてくださって、詩篇を学んでくださったのだ。いやはや、素晴らしい幸いな学びだったのだが、通訳の兄弟には大変だったろうなと、そのご苦労を偲んでいた。私にとってはとてもありがたいことだった。私以外の兄弟によって詩篇が学ばれるのを直接お聞きするのは、ようやくこれで2回目である。しかも幸いな内容の学びだった。詩篇の素晴らしさを改めて認識した。
 昼食を挟んでの兄弟姉妹との幸いな交わりの後、午後からはもう一人の兄弟が「イエス様の変貌の山」の記事から教えられることを学んでくださった。あの箇所から様々な教えを展開してくださるのを驚きながら聞いていた。幸いだった。
 そして、イギリスからの兄弟の2回目の学びである。再び詩篇から始め、そこに示されているクリスチャンの幸いは何によってもたらされるのかを覚えた上で、ようやく当初学び予定であったであろう、レビ記の学びをしてくださった。いやはや、これまた幸いな素晴らしい学びであった。外国の、特にイギリスからの兄弟の学びはいつも深く、幸いである。リバイバルの発祥の地であるとともに、聖書の学びの伝統が深く蓄積されているからであろう。もちろん、今回のご兄弟自身のご努力と、その全てを用いてくださった神様のみ働きである。
 ともあれ、幸いな学びの数々を受けて、無事帰途につくことができた。家に帰ってしばらくすると、昨年の卒業生から大量のメールが来た。何と、私が訪れた場所の近いところで東京クラス会をやっていたらしい。ニアミスだったねぇ。また高校に顔を見せてね。