『学び合い』と「放任」の違い

 6組での授業。「羅生門」の8時間目である。9組と同じようにファイナル・レポートを書かせる。
 その前に、この授業全体についてのアンケートをとる。9組でもこれは行っているが、興味深かったのはこの6組での結果である。9組も6組も話し合いは不活発になることが多かった。ほとんどだんまりだったグループがあった。特にこの6組は、席替えをして以降はだんまりグループが非常に目立った。その時の時間は苦痛だっただろうなぁと思う。そして、その結果がこのアンケートに反映されるだろうなぁ、と思っていた。
 ところが、意外や意外。というか、あまりに予定通りの結果に驚いている。6組でも9組でも、この授業の評判はきわめて良いのである。4段階で授業への満足度を聞いたが、ほとんどの生徒が「満足」「やや満足」を選んでいる。「やや不満」を選んだ者は75名中1名くらいしかいない。そして、「こうした形の授業を今後も続けて欲しいですか」という質問にもほぼ全員が「続けて欲しい」「まあ続けても良い」を選んだ。「あまり続けて欲しくない」が2、3人程度。ウーーーーム、考え込んでしまった。
 確かに、「羅生門」を素材にして好き勝手に話ができるのだから、満足度が高いのは当然である。でも、あの沈黙の時間があるのに、この授業の継続を望むというのはどういうことなのだろうか。板書中心の小説の授業によほど飽き飽きしているのかなぁ。このアンケートは、もう1クラスの結果を踏まえて集計し、考察してみたい。あまりに不思議な結果である。
 さて、6組の授業では、そのアンケートの後でファイナル・レポートを書かせる。相変わらずBGMをかけてリラックスムードの中で書かせる。今回用いたのはこれ。

LOVE BALLADES/ちょっとひとりKOTO2

LOVE BALLADES/ちょっとひとりKOTO2

 ところが、前回自由に立ち歩きを許したせいか、今回もレポート執筆せよと宣言したとたんに席を立った生徒が数人いた。あるいは隣近所の友人と話を始めた者がいた。半数以上は黙々とレポートか季に専念していたが、残りは友人との話に没頭している。もちろん、その話の内容は「羅生門」の原典と芥川の作品との違いを話し合うことなのだが、それにしても与えた40分ほどの時間のほとんどを友人との話に費やし、鉛筆がほとんど進まない者が何人もいた。
 このレポートは、しっかりしたものを書いて欲しいという意図から、締切をテスト終了後に設けている。そのせいだろうなぁ、この時間内に書き終わらなくても良いという設定が、たとえ私がこの時間内に提出するのがベストだよと言っても、彼らをしておしゃべりばかりをさせたのだろうなぁ。
 『学び合い』を成立させるのに大切なことは、「目標を明確にすること」である。そして、評価規準を明確にすることである。「全員が」(=評価基準)、「これをできるようになる」(=目標)と明確に子どもに示さなければならない。そうでないと、放任と同じになる。『学び合い』という学習かどうかは、この2つの要素が欠かせない(という理解で良いでしょうか?)。
 今日は目標自体の中に、放任に陥らせる要素が入っていたなぁ。反省。