振り返りにヒントがあるだろうか

 暑い1日だった。後から後から汗が噴き出てくるような中、3組の授業があった。全体の6時間目、「羅生門」の内容読解の最後である。下人が老婆の弁明を「冷然として」聞いた後、下人の中に勇気が湧いてきて、老婆の着物を引はぎ、「夜の底」へ駆け降りていくという最終の場面である。
 昨日の授業で提出された多様で、鋭い読みを示したものを紹介し、生徒を思いきり誉める。こうすることで今日の読み取りにも深い読みを期待してのことだ。3組という環境だからだろうか、あるいは今日の場面が力があるのか、話し合いの最中は終始活発に意見交換をしている姿が見受けられた。もうこうなると教師の出る幕はない。後は彼らの話し合いが少しでも快適な環境の中で行われるよう、窓を開けたりして調節するだけである。こんな時は彼らがとても頼もしく見える。思うに、授業というのは教師は暇にならなければならないのではないかな。生徒が学習するのであって、その間、教師は暇のはずである。まあ、そう一概には言えないか。
 そんな授業をしているといくつかの疑問が起こる。

  1. 話し合いが活発になるのはグループのメンバーの組み合わせによるのか、課題内容の興味深さによるのか
  2. メンバーの組み合わせの場合、どのような組み合わせが話し合いの活発・不活発を左右するのか
  3. 課題内容による場合、どのような課題内容が話し合いの活発・不活発を左右するのか

 そして、他のクラスの生徒の「振り返り」を読んでいて、次の疑問も浮かんだ。

  1. 「わかったこと」であまり妥当とは言えないことを書いている生徒は、何故そのようなことを考えたのか
  2. 「わかったこと」で妥当ではないことをどのようにすれば修正できるのか

 こうした授業をして、生徒からたくさんのレポートを提出させ、それらの記録を見ていると、様々疑問が湧いてくる。そのすべてに解答できるわけではないが、授業には実に様々の現象が起こっているのだということには気づく。それらの中で、何か追求できるものはあるだろうか。