「羅生門」をグループで読む授業

 昨日は6組、今日は3組での授業。どちらも8時間を想定している「羅生門」をグループで読む授業の1時間目である。
 まずは「小説を読むことについての調査」を行う。小説の読み方がどの程度身についているかを問うアンケートである。これを集計を3クラス分行ったのだが、なかなか興味深い結果が出ている。小説を読むといっても、いろいろな方略がある。しかし、それらの方略がバランス良く身についているかというと、当然ながらそうではない。「感想が書ける」という能力が図抜けているのは皮肉っぽくて面白い。それだけ感想文をしこたま書かせられてきた、ということか。このアンケートについては、今回の「羅生門」の授業が終わった時に同じ質問項目でもう一度行う。これの個人での差をとることで、授業がどの程度効果を発揮したかを探る予定である。
 次に、4人グループを組ませる。そして、「羅生門」を4人で順番に音読する、「読み合わせ」を行わせる。この手法は、同僚が昨年行った公開授業で見て、「こりゃぁいい」と思ったものだ。これならば終始緊張感を持続して音読を続けることができる。また、一人一人が読む分量が多いので、ストーリーも頭の中に入りやすいだろう。9組でこの手法を使わなかったのが残念である。朗読CDを聞かせたのだが、居眠りしてしまう者が出てしまったものだ。
 その後、この「羅生門」を「下人が〜になる(する)物語」という形でまとめるとしたらどうなるかを、グループで話し合わせ、まとめさせる。それを各グループ代表が黒板に板書し、全員で確認することとした。「下人が盗人になる物語」というまとめ方が多かった。「下人が悪人になる物語」「下人が悪の世界に入る物語」「下人が老婆の影響で悪に染まる物語」など、多少の変形があったり、原因まで言及してまとめたものもあった。基本的には「下人が盗人になる物語」で生徒たちはまとめてきた。そこで、「下人の行方は誰も知らない」と書いてあるのに、下人が盗人になったとどこからわかる? と質問してみた。「下人が老婆の着物をはぎ取ったから」と答えた者もいるし、「『門の下で欠けていた勇気』が出てきたから」と答えた者もいた。これは良い答えだねぇ。ということで、「門の下で欠けていた勇気」とは何かを確認させ、そこから盗人になったと推定できることを示した。そして、小説を読むとはこのように書いていないことを推定する必要もあるものなのだ、と話した。
 さあ、次回は小説の構造分析である。