「好奇心」の授業

 3組での授業。この授業を教育実習生のひとりが見学してくれた。今来ている教育実習生は4年前に卒業させた卒業生たちである。私が最も印象に残っている生徒たちだ。残念ながら私のクラスからは一人も来ていない。全体としても9名しかおらず、そのうち4年前の卒業生は7人くらいなのかな。
 私が最初に本校に来て、必死になって毎日を過ごして教え続けた生徒たちが、卒業して成長して、今は教育実習生として来ている。感慨深いなぁ。今日、私の授業を見学してくれら実習生は、2年と3年の時に教えた者だ。これからの自分自身の授業を作り上げていくために、少しは参考になってくれたかなぁ。
 今日の授業は6組での手応えのなさを反省して、与えてあるプリントの問題が成立している流れを丁寧に説明しながら生徒に質問していった。そのおかげか、最初から生徒の答えは的を射たもので、非常にありがたかった。とはいえ、この生徒は自分たちで話し合って確認した解答を確認しながら答えていたので、決して私の説明のせいではない。でも、私の説明によって、自分たちの解答が妥当なものであることを確認できただろうね。
 質問と解答によるまとめはとんとんと進んでいく。しかし、女性人類学者が、調査に入ったアフリカの部族の人々の、植物界の多様性に対する認識をどれほど理解しようとしても不可能だ、という理由についての質問は、やはり浅い認識に留まっており、それまでの本文の流れを十分に踏まえたものとなっていなかった。その人類学者が植物の多様性に対して興味・関心を持たないから、ではないのだ。だったら、興味・関心を持つよう努力すれば良いではないか、ということになってしまう。そこで、その質問がどこまで深く考えるべきなのかを確認した上で、生徒同士で話し合いをさせてみた。その後で再び質問したところ、彼女が属している環境がそうした興味・関心を必要としないものだから、という解答に到達した。その通り、ことは文化の違いの問題に行き着くのだ。このことから、興味・関心の度合いの差が文化の違いを生み出すという主張を生み出し、そこから興味・関心を持つことの重要性へとつながっているのである。この流れを理解する、ここは重要な質問事項である。何とか生徒の方から解答が出てきてくれて、良かった。