課題の量と時間とのかねあいを考えねば

 今日は古典の授業が2コマあった。10組と2組である。10組は「絵仏師良秀」の主題の確認がまだ残っていたので、前半はそれを行い、後半は『学び合い』形式で動詞の活用を勉強させ、正格活用の動詞だけの小テストを行った。
 2組は今日が試験前最後の授業である。それなのに、まだ十分には動詞の活用の練習をさせていない。今日1時間はまるまる『学び合い』である。
 最初に生徒に、今日の時間の終わりに9種類すべての動詞の活用の小テストを行うことをアナウンスする。そして、全20問中クラス全員が17問以上を正解できるようにする、という課題を設定する。そして、勉強の方法は全く自由であること、何をしても良いこと、立ち歩いても寝転がっても、友人と一緒に勉強してもひとりでも構わないことを宣言する。さらに、黒板に生徒の出席番号を書いておき、勉強して自信がついたものは自分の番号を消すように、そしてまだ自信の持てない友人を助けるように、と指示する。このようにして正味40分くらいを生徒に与えた。
 生徒はまさに自由に友人同士と勉強したり、ひとりで黙々と勉強したりしていた。私に質問することも良しとした。教師に質問することも、「方法の選択は生徒に任せる」という方針と合致すると考えたからだ。何人かの者が質問しにきた。この程度ならOKではないだろうか。
 黒板に書かれた自分の出席番号を消すことができたのは3人だけだった。やはり、この程度の時間では足りない。そもそも9種類の動詞の活用すべてを暗記し、しかもそれを使ってどの動詞を見せられても活用表が書けるようになろうというのだから、要求されている内容が多すぎる。圧倒的に時間が足りない。たぶん、本校の生徒ならもう1コマ練習する時間があればだいぶ良いところまで行くのではないかな。解決すべき課題の量に見合った時間を与えなければならないなぁ。
 さて、時間がきて、生徒を元の席に戻らせ、小テストを行う。修了後にすぐ自己採点をさせる。残念ながら合格点をクリアした者は数人しかいなかった。やはり、圧倒的に時間が足りないのだろう。このクラスはもう授業がない。あとは生徒の自主努力に頼るしかない。何とか頑張ってくれよ。