小さな集まりでも忠実に集まれる

 この土日は長岡にある集会に行き、特別福音集会に出席した。私の長男が中学生になったので、彼に聖書の話をしっかり聞かせたいからだ。また、今回お話をしてくださる方は我々の親戚にあたる方なので、なおさらである。
 非常に分かりやすく、また誠実に聖書から福音を語っていただいた。彼の性格そのものである。伝道というのは、語る人・伝える人の人格そのものを通して伝えていくものであることがよく分かる。今そこに、聖書に書かれていることを信じている人がいる。そしてその人の口から語られる聖書のことばが、その時にいのちを持つ。むろん、聖書のことばがいのちそのものだが、それを語る人を通して、なおいのちを持つと思うなあ。
 長岡の集会は小さな集会である。10数人の兄弟姉妹が集っている。しかもみな、物静かな方々ばかりだ。しかし、それぞれが忠実に仕え、忠実に集っている。その姿は本当に感動させられる。華やかなだけが良いことではない。静かであれ、目立たぬことであれ、持続して、忠実に歩み続けることこそが、力を持つのだ。