特編B3日目

 今日の扱った問題は古文。三重大学の問題を取り上げる。これは「文机談」と「風姿花伝」の2つを比較して、そこにある幼児期における芸事の習い始めの扱い方について共通点と相違点を述べる、というのがメインの問題である。なかなか意欲的な、良い問題だ。ただ、文章自体はさほど難しくもなく、文法的な問題もほとんど問題にならない。この程度が入試問題なら、むしろセンター試験の方がもっと難しい。と思っていたら、三重大学センター試験と同じく評論・小説・古文・漢文の4分野の記述式問題を80分で解かせている、とのことである。うーむ、それならば一つ一つは易しくないととても解けないね。いずれにせよ、二つの文章を比較する問題はなかなか秀逸である。
 しかし、それだけではとうてい65分授業は持たないので、もう一つ、金沢大学の問題も解かせることにした。これは悪人であっても、他人の命が危険になる場面に遭遇した時、思わず人間の善性が表れる、という例を2つ並べている話である。これまた内容をとらえるのには非常に易しい文章だ。どちらも、結局今日は記述式の答えをいかに作り上げるか、の練習となった。
 私自身も当然授業の予習としてこれらの問題を解いているのだが、その時感じることは、本文を読み、設問を確認して、解答の方向性を頭に思い浮かべることまでは簡単なのだが、それを文章として表す際に非常に困難さを覚えるのである。だいたい、入試問題の解答は、それがいかに長くとも、100字前後のものなら1文で書く。この100字前後の1文というのは、かなりプレッシャーのかかる作文である。通常、文章を書くときは1文=1アイディアが原則であり、多くのアイディアがある場合はそれだけの文を書いて、接続詞等でつなげていけばよい。しかし、入試問題の場合は1文で書く。つまりその文は複文になるわけだ。論理のきちんと通っている複文を作り上げるのはかなりの力業である。そこで、設問を読んで、解答の方向性を確認して、さあ解答を書くぞ! というところまで来て、それから後の作業量の大きさにしばしば絶句することがある。これは、書き慣れていなければ、もっとシビアな条件の本番の試験ではまともな解答が作成できないね。また、解答作成という作業量の大きさにびびってしまい、本文の読解で見落とす点が発生しやすい。含めるべきポイントを含み忘れてしまうのだ。いやはや、記述式問題の演習は頭を使う。非常によい「国語」の演習だ。
 これは普段からもっともっともっと、「書くこと」の練習を積み重ねている必要があるね。少々の文章なら平気で書けるほどの練習量を普段から積んでおかないと、こうした記述式問題を解くという時になって苦労をすることになる。国語の授業は絶対に「読むこと」に偏重してはいけない。それは、大学入試を突破させるというためにも必要なことだ。
 私はこうしてほぼ毎日blogを更新しているので、文章を書くことにはかなり慣れているつもりである。その私でさえ困難さを覚えるのだから、まして生徒はどうだろうか、と思う。あっ、でも私の場合、blogはコンピュータで作成するので、手書きで文章を書くということに抵抗感を感じているだけかも知れないけれど……。今度、コンピュータを使って問題を解いてみようか…?