特編Bスタート

 今日から特編Bが始まった。この特編Bというのは、要するに大学入試演習の授業である。特に2次試験での科目を中心に、午前3コマで終わる。文系の場合、国語、英語、地歴の3科目だ。
 国語は文系の4クラスのみに授業が設けられている。3年生の国語を担当している者は4人。よって、一人1クラスずつ、毎日出て行って授業をする、ということになる。私は文系の担任なので、自分のクラスの1組の国語を担当する。これから来週の金曜日までの9日間、毎日自分のクラスに出るわけだ。これは実は非常に特殊な状況である。今までは多くても週に3コマの授業が最大だった。それが、毎日自分のクラスに出る。果たしてどんなことになっちゃうのだろうか、とちょっと心配である。
 授業は、夏に配布してある入試問題を集めた問題集のうち、この特編Bのために割り当てておいた問題を、1日1題ずつ授業中に解いて解説をする、という形で行う。今日は水村美苗の文章による評論の問題である。
 さて、この授業では久しぶりに記述式の問題を解くことになる。この1か月ほど、ずっとセンター形式の問題を解きまくっていた。その頭にとって、記述式の問題は全く別の頭の部分を使うような感じだ。
 センター形式の問題は、選択肢自体が問題文の理解を促してくれることが多々あった。そのために、かなり長めな文章を高速で読み解くことができる。また、選択肢問題は基本的に「文章に何が書いてあるか」を探すだけの問題だ、と言える。まあ、今回のセンター試験ではそれだけではない設問もあったけれどね。基本的には書いてあることを探す、という作業である。
 しかし、記述式の問題に答えることはそれとは違う。まず、作題者は何を問おうとしているのかをしっかり把握しなければならない。さらに、示された傍線部が何を言おうとしているのか、何が不明な点なのかを確認する必要がある。そして、それを説明するための材料を文章の他の部分やら常識として知っていることやらから持ってこなければならない。最後に、それらの材料を指定字数に入るように文章の形で提示しなければならないのだ。センター形式の問題とは解決するためのステップ数がまるで違う。センター形式は、言ってみれば1ステップで解答にたどり着く。しかし、記述式問題は4ステップほどあるのだ。
 授業のために当然自分でも問題を解いてみる。いやぁ、私自身もセンター形式の問題を1か月ほど解き続けていたので、記述式問題を解くための頭の部分が凝り固まっている気がする。なかなかすぐに解答を作成することができない。これは十分にリハビリして頭を解きほぐし、記述式問題を解ける頭をもう一度作り上げていかなければならない。
 そこで、授業では、単に時間を与えて問題を解かせて解説する、という流れを取らないことにした。時間を与えて問題を解かせるが、その後の解説では、生徒が今の問題を解くに当たってどう考えるべきなのかを生徒同士でできるだけ確認し合うようにした。今日の評論におけるテーマは「作題者が何を求めているのかを、しっかり確認しよう」というものである。今回使用したのは津田塾大の問題である。その設問の仕方がちょっと独特である。その問いかけ方において、解答者はどんな答えを要求されているのか、どの範囲まで考えて答えるべきなのか、ということがすぐに分からないような設問である。傍線が引かれている箇所は対比の形が入っている部分である。その対比を踏まえて解答すべきなのかどうか、という問題だ。通常、対比をきちんと踏まえて答えるべきである。しかし、指定された字数を考えると、なかなか微妙である。ちょうど入りそうな、あるいははみ出そうな、そんな字数なのだ。
 そこで、生徒には、対比を踏まえた解答例と対比を入れていない解答例の両方を示して、どちらが自分の解答の方向性と同じものかを確認させた。そして、どちらの方向性で解答すべきなのかを考えさせたり、隣同士で話し合わせたりした。私の結論は、はっきり決めることはできないが、対比構造を入れた方が良いのではないか、ということを示す。
 この授業で目論んでいたのは、私の結論を示すことではない。作題者の意図を自分なりに考える、ということである。作題者の意図に対する考えとして様々な可能性があるのだ、ということを示し、それを決定していくのは自分自身である、ということを理解して欲しかったのである。問題を解く、というのは結局そういうことだよね。作題者の意図が多少曖昧な場合、何について答えるかを決めるのは解答者だけである。自分が最大限理解して考えた解答の方向性を、しっかり定めて解答していく。問題に解答するということは、なかなかにダイナミックな作業なのである。