玉鬘の授業

 2組での授業。玉鬘一行と右近一行とが初めて出会う場面である。ここでは玉鬘と右近とが偶然に同じ部屋に入る、という状況になる。これを理解して欲しいと思っていた。
 そこで、まず授業の始めに2つのことを板書した。1つは「右近は何故初瀬参詣をしに来たのか?」、もう1つは「玉鬘と右近とはどのような状況で出会ったのか」ということである。今日の授業の肝の部分である。これを理解すべく、口語訳を進めていくわけだ。
 しかし、やはりこの授業も停滞した。あるいは私が現代文での生徒の生き生きした様子を見てしまっているからなのかもしれない。それでも生徒の顔から生気が失われ、雰囲気が重く停滞しているような印象はぬぐえない。
 最近の授業では夏休みでの勉強を意識して、文法事項や古典語彙の確認を重視した授業を行っているせいなのかもしれない。そういった、いわば無味乾燥な知識の注入が生徒の意欲を殺いでいる、ということは考えられる。
 考えてみれば、文法事項や古典語彙の確認は『学び合い』で十分達成できるなぁ。こうした基本的な事項こそ、『学び合い』が一番簡単に適用できるところである。もちろん『学び合い』は、さらに深い読解にまで生徒を導くことができると思っているけれど。