使徒の働き7章について

 私の通っている集会では、毎週火曜日は聖書学び会である。今は使徒の働きを毎週1章ずつ学んでいる。今日は使徒の働きの7章であった。7章は、イエス様の弟子であるステパノという人が殉教する場面である。ステパノは無実の罪を着せられてユダヤの議会に引き出され尋問を受けた時、壮大な弁明を開始する。使徒の働きの7章は同書の中で最も長い章である。そしてその内容は創世以来のイスラエルの歴史をたどり直す、というものである。
 今日この箇所を学んでいる時に、ステパノは何故このような壮大にして長大な弁明をしたのだろうか、と考えてみた。そして、彼にはそうする必要があったのだ、と思いついた。ステパノは「神とモーセとを汚している」「律法と神殿を貶めている」「イエスがユダヤの慣習を変えてしまう」と訴えられていた。その訴えの内容について弁明するためには、さらに単に弁明だけではなく聴衆に悔い改めを求め、自身の信仰を表明するためには、イスラエルの歴史をたどり直すことが必要だったのだ。決して、自己の知識をひけらかそうとしたのではない。そしてそのことにより、聖霊が働き、神様の御心が明らかに聴衆たちに示されたのだ。
 これは私たちが聖書に基づいて証しをする際にも参考となることである。聖書の知識を用いるが、決してその知識をひけらかしてはならない。聖霊が働き、人々の心を動かすことが不可欠である。
 ステパノの弁明は非常に長いものだが、その意味を少し理解することができて、嬉しかった。