「無名抄」の授業

 8組での授業。ここでも同じく、本文をなるべく短い意味のまとまりに区切り、生徒にどんどん指名して口語訳をさせていった。これまでの授業なら5、6人程度しか口語訳を担当しないだろうが、今日は15、6人に指名できた。古典では口語訳というのも大きな意味を持つのかもしれないな。口語訳をすることで本文をよく考えるし、表現から古人の思いを読み取ることもできる。であるならば、数人しか口語訳を担当しない授業よりも、なるべく大勢の生徒が口語訳を担当できる授業の方が良いだろう。生徒が活動する、生徒が自分で動き、学ぶ。それがあるべき授業の姿である。
 まあ、さらにあるべき姿といえば、生徒が自分自身で学ぼうとする授業だろうけれどね。