和歌の授業:三夕の歌はなぜ四夕の歌ではなかった?

 7組と8組での授業。どちらもほぼ同じ箇所からスタートする。
 まずは和泉式部の和歌から。「もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る」の有名な歌だ。
 着眼点は「もの思へば」の「もの思ひ」の内容である。作者はどんなもの思いをしているのかを考えさせる。この歌には詞書きがついているので、それの解説を先にしているから、それを頼りに「男のことについて」などという答えが返ってきた。そこで、それを踏まえてさらに広げていき、蛍を見て、作者が今まで自分がもの思いをしていたことにふと気づいたことを理解させ、その蛍が自分の魂が抜け出たものかもしれぬという思いになったことを確認させる。
 次は定家の三夕の歌の一つ。「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」である。
 まずは詞書きと和歌本文を口語訳させる。そして、これが「三夕の歌」の一つとして古来有名であることを伝え、そのゆえんを考えさせる。
 私が示した点は2つ。1つは、この歌が源氏物語の「須磨」巻や「明石」巻を彷彿とさせること。2つ目は、「花も紅葉も」と言い出したイメージを否定することで、イメージが消えてしまうのではなく、かえって理想的なイメージが立ち現れることを伝えた。
 そこから「余情」「有心」について説明し、次の『無名抄』のために用意していたプリントを使って、幽玄について教える。
 最後に新古今集から三夕の歌を紹介したが、その際、その三夕の歌に続けて新古今集に載っている藤原雅経の歌も紹介し、その雅経の歌がなぜ三夕の歌と並び称せられなかったのかを考えさせた。
 これはプリント教材とし、宿題とした。生徒がどんな考えを示してくれるか楽しみだ。