和歌の授業;「教えたいことは教えない」

 7組と8組での授業。和歌を扱っており、柿本人麻呂長歌をそれぞれのクラスでようやく解説し終えた。
 泣血哀慟歌である。聞かせどころ、気づかせどころが満載の長歌だ。それらを、例によってオーバーアクションに載せて、生徒に説明する。いやぁ、いい歌だ。
 しかし、その良さを、本当は生徒自身が気づくようにし向けなければならないのだと反省する。私が分かっていて、私が説明していたのでは、生徒の力にならない。私はむしろ何もせず、生徒自身が気づき、学ぶようにし向けなければ、本当の授業とは言えないだろう。
「教えたいことは教えない」と、池田さんのblogだったか、どなたかの言葉が引用されていた。これは大切な言葉だなぁ。教師はついつい自分が感動して生徒に伝えたいことを大仰な振りを付けて教えてしまう。しかし、本当はその「一番教えたいこと」は、生徒自身が気づいて欲しいのだ。そして、教師自身が教材研究をした時に得た感動を、生徒自身が自分が気づくことによって味わって欲しいのだ。それが本当に求めるべき授業のあり方だろう。
 方向性は分かっている。それをどのように具体化するかだなぁ。『学び合い』は確かに有効な手段である。しかし、他にはないのか、他にもっと取り組みやすいものはないのだろうか。