アウトプットの重要さ

 私の愛読しているblogの中に、上越教育大学の赤坂真二先生のものがある。昨日の記述の中に、非常に共感するものがあった。

 上達には、経験の再構成や意味づけが必要だと言う。アウトプットだけでは、実力はつかない。自分のパフォーマンスを一つの作品として、外へ出して見て、それを自分で評価する。そして、修正をして次のパフォーマンスをする。その繰り返しにより、パフォーマンスが高まる。アウトプットとインプットは、同時になされないわけである。現場では、授業をする。しかし、それを自分で評価する機会はなかなかない。すぐ次のアウトプットがやってくる。

 経験や実践は、現場では山ほど生まれる。しかし、それを振り返って、意味づけする時間がなかなか見いだせない。ここで自分の実践を意味づけ、再構成することで、また、子どもの前に立ったときにさらに成長されることだろう。

(中略)

 みなさんにも、同僚や仲間がいるだろう。力をつけるためには、アウトプットの機会を確保することである。アウトプットしないと人は賢くなれないらしい。

 アウトプットの意味合いを非常に良く意味づけてくださっている。今、自分自身もアウトプットの大切さを意識しているので、そこに共感したのかな。
 アウトプットの機会を積極的に確保すべきだなぁ。実は、その機会を1つキャンセルせざるを得なくなって、ちょっと残念に思っていたのだ。
 また、このアウトプットの重要さは高校3年生にも言えることだなぁ。生徒たちにとってのアウトプットとは、ある意味では模擬試験を受験することだろう。3年生で何故あんなに数多くの模試を受験するのか、その意味がこれで分かる。
 もちろん模試というレベルに限らず、普段の授業でのアウトプットも重要だ。しかもそれは他者から評価されることが必要条件である。そうした機会を授業で確保されなければならないだろう。