インターネットは研究室だ

 私には密かな憧れがある。それは「研究室を体験したい」ということだ。私は大学時代、残念ながら研究室というものを持たなかった。文系学部の宿命というか、文学部では学生用の研究室を持つところは少ない。そこで私の尊敬する先生は、何と自分の研究室の3分の2のスペースを我々学生用に解放してくださり、研究室としてくださった。私はそこで先生と少しだけ話をしたり、豆挽きのコーヒーのうまさを初めて覚えたり、真夜中に研究室を訪れてゼミの準備をしたりした。あれは本当に貴重な、大切な経験だった。しかし、先生は国語学が専門であり、私は文学志望であるため、その研究室にはあまり行かなかった。今から思うと本当にもったいないことをした。先生は我々が4年生の時の夏に、不慮の事故で亡くなられてしまったのだ。先生の死去とともに、素晴らしい研究室も消えてしまった。それ以来、研究室を体験したいという思いはますます強くなっていった。同じ学問を目指す仲間たちと、学問のことについて、人生について、くだらないことについて、時間を忘れて語り合いたい、そこから刺激を受けたい、そんな思いをずっと持っていた。
 私は大学院にも行った。しかし、私が行ったのは放送大学の大学院である。これは当然ながら学生の研究室を持たない。年に2回研究指導があるだけで、それも都合がつかずに欠席することが多かった。そもそも私が研究していた分野と私が配属された先生の専門とがまるでかみ合っていなかったのだ。「研究室を体験したい」という望みは叶えられなかった。
 しかし、最近思うことがある。私はgoogleリーダーを使って、自分が注目している方のblogを登録し、ほぼ毎日その方々のblogを読んでいる。これって、研究室で語られる内容と同じことではないか、と気づいたのだ。私が聞きたいと思っていた、学問についての話、授業実践についての話、くだらない冗談、等々はこれらのblogでも十分以上に読むことができる。リアルタイムの双方向ではないが、聞きたい内容は同じ、いや、実践家が多いので、それ以上の内容である。
 梅田望夫氏が述べていた、「インターネットは研究室である」という言葉を、なるほどと納得できた。こうしたことだったのだね。本を読んだ時に、梅田氏にならって早速はてなグループを作ったのだが、それをどう使っていいのかよく分からなかった。しかし、研究室化するということの意味をようやく納得できた。