環境の変わる君へ……

 今日は日曜日。私は1日中集会に集う。今日から、名古屋にある集会のクリスチャンのご子息で、新潟大学に入学される方がお母さんと一緒に集会に集われた。まだ信仰を言い表してはいないのだが、ちゃんとスーツを着て、礼拝からちゃんと出席する。お母さんがおられるからかもしれないけれど、素晴らしい心がけである。こうでなくっちゃ!
 そこで、パンを裂いた後、建徳の学びの時に、環境の変わることに対する学びを私がした。入学や就職、転勤などで環境が変わることは、池田さんがblogで書いていたように、一種の「死」である。何しろこれまで築いてきたいっさいの関係性と蓄積とがすべてリセットされるのだもの。「死」に等しい環境の激変だ。そして、全く新しい地で、新たな人間関係を模索しながらこれからの生活をしていかなければならない。そうした試練は様々あるけれど、それらの試練は詰まるところ「我々が神様を神様と認めるかどうか」ということが問われている、と集約できると思う。
 環境の激変の中にあって、何を自分のよりどころとするか。クリスチャンならば、それは神様、またはイエス様、としたいものである。そんなことを、聖書のみ言葉を通してお話した。
 多かれ少なかれ、新年度を迎えて環境の変化を経験している方々も多いことだろう。こうした環境の変化とは、私にとって以上のような意味付けを持つ。私自身も明日は始業日である。3年1組の担任として、新しい生徒たちを迎えて新たなスタートをする。どんな1年間となるか、不安とともに、楽しみである。