「こころ」の授業

 今日は3組の研究レポート作成3時間目。つまり、最後の段階である。前回の4組の時と同様、「3時間目の作業内容について」のプリントを渡して説明し、各グループに研究メモを渡して私のコメントについて説明する。その後、質問を受けることにしたが、いくつかのグループが質問しに来た。結局時間内では終わらず、次の時間も同じ作業を続けることにした。このクラスは授業時数に余裕があるのだ。
 さて、研究レポート作成も大詰めに来た。これから各クラスからレポート原稿が届き始めるだろう。それを印刷して配布するのはたいしたことではない。問題は、彼らのレポートをどのように活用するかだ。一番最初は発表会を開催しようと考えていた。しかしこれは時間の関係で、この指導をスタートする以前に断念した。本当は発表会をするのが一番良いのだけれどね。
 この実践をスタートする当初は、通常の授業で小説を読み取っていく最中に、取り上げる質問に対する答えを担当したグループに解説させる、というスタイルだった。しかし、これもどうやら実現不可能になってきた。すべては授業の残り時数が原因である。私の担当している3クラスのうち、現代文の時間は次の試験まで残り3時間である。その3時間で「こころ」という小説の解釈について統一見解を確認しておかなければならない。もうこれは私の方で一気に駆け抜けるしかない。
 さて、生徒のレポートをこの授業展開の中にどのように位置づけ、活かすか。非常に難しい局面に立つこととなった。
 見通しが甘い、といわれるかもしれない。でも、私のスタンスは「面白そうなことはとにかく実践する。帳尻は後からつける。」というものだ。これは、生徒の力が高いからできる贅沢であろう。彼らなら、このような授業をしても自力で何とかまとめることができるだろう。どの生徒に対してもできることではない。