若紫の授業

 今日は文化祭後最初の授業日のため、大清掃が入り、授業は55分授業である。そして、授業変更のため、今日は8組の古典1コマだけ。
 ところが、55分授業だというのにこのクラスは時間割が変更されたという連絡があったらしく、私が教室に行っても彼らは数学の準備をしていた。いやぁ、焦った。最近、間違いをすることが往々にしてあるので、私が間違えたかと思った。この対応のため10分近くはロスしたろうね。
 生徒に進度を確認してみると、私が思ったよりも進んでいない。そこで、口語訳の前回の箇所からきりの良いところまで私がざっくりやってしまう。そして次の段落から生徒に指名し、訳させていく。うーむ、普段の生徒の訳はそんなに的はずれなものではないのだが、どうしてこんなに時間がかかるのだろう。私の説明が細かすぎるのかな。ただ、今日指名した生徒の訳はひどかった。文法事項をほとんど無視した、いかにも何も調べていないという訳だった。それでも自分で何とか訳そうとした姿勢は評価できる。端から「分かりません」といってすませなかっただけ偉い。もっとも、そんなことを言ったら私はかえってねちっこく訳させることにこだわり始めるけれど。
 ということは、初見の古文を独力で解釈する力はまだ生徒には育っていない、ということだろうか。古文単語の力、文法事項の力、文脈把握の力、背景知識の力。古文を解釈するにはさまざまな力が必要だが、まだこれらの力が育ってきてはいないのだろう。普段の授業では、生徒は予習をしてくるので、それらの力が育っていないかどうかの確認が難しい。定期テストでも難しいだろう。明示化するのは実力テストや業者の模擬試験などにおいてである。こうしたものの結果を十分分析して、自分に授業内容や方法の見直しにつなげていかなければならないね。