『こころ』の授業

 4組での授業。この授業は失敗だった。と言うより、このクラスでの授業は失敗だった、と言うべきか。
 昨日の3組と同様に流れは進めていった。最初の25分間は個人作業とし、まずは自分自身で担当する章について疑問点を出して調べ始めるように、という指示を出した。しかし、開始後5分くらいで雑談が始まりだした。次第に雑音が大きくなってきたので、もう個人作業としていた時間を解除し、生徒に自由に話し合うようにと指示した。だが、いっそう雑談が多くなったようで、やや収拾がつかなくなった。ある生徒の高笑いが時々聞こえてくる。およそ、図書館という空間ではふさわしくない雑然とした状態になってしまった。
 この間、私は机間巡視をしたが、特に生徒に注意は促さなかった。何となく、もう少し生徒に自力修正を求めたかったのだ。だが、結局雑然とした雰囲気は最後まで続いた。最後に机間巡視した時では、生徒に書いていたメモは語句に関する記述のみのものがほとんどだった。
 このクラスは時々こういう状態になる。自由に作業をさせると自分勝手に動いてしまい、こちらの意図する活動に入ってくれない。これは、次の時間にはがっちりと「語り」をしなければならぬ。私は生徒たちに「楽」をさせているつもりは毛頭ない。むしろ、通常の座学の授業よりも過酷な作業を求めているのだ。私の狙っているのは大学の日本文学科の学生が要求されるレポートレベルのものである。それを高校2年生の生徒たちに要求したいと思っている。これらの点について次回はしっかりと語らなければ。
 同時に、こうしたクラスに対しては時間ごとに作業結果を提出させるのも良いのかもしれない。プロダクツに責任を持たせるのである。こうした授業ではプロダクツの質を高めることを要求することでプロセスの質を上げることができる。次回はプロダクツを求める段階なので、さらにそれに高い質を求めよう。