国語における課題設定

 京都の宿にきてくださった池田さんとも話したのだが、国語における課題設定というのはなかなか難しいものだ。理科や数学ならば「○○ができるようになろう」とか、「次のテストで全員が80点以上を取る」という課題設定が可能だ。しかし、国語においては、特に文学的文章の読解において課題設定は大変難しい。「死にたまふ母」における作者の悲しみを全員が理解できるようになる、などという課題設定はナンセンスである。それは、指導書における課題設定と同じだ。生徒が自分自身で取り組む課題としては不適当であろう。
 そこでどうしても「誘導」が必要になってくるのではないか。国語においてはある程度の誘導を伴った課題設定が必要なのではないか。その意味では、今日の敬語プリントなどは課題設定しやすいものなのだけれど、生徒はあまり乗ってこなかった。あまりに機械的すぎるからかな。