前期期末考査1日目

 本校では今日から試験である。今日の2年生の科目はリーダー・現代文・化学。さっそく現代文のテストが行われた。
 午後から用事があって試験終了後にそそくさと帰ったので、生徒の感想を聞くことはできなかった。しかし、難しい問題を連発したのだが、幸い生徒の取り組みは良さそうだ。はなから戦線離脱をするのではなく、ちゃんと取り組んで何とか答えで解答欄を埋めている。そうそう、そう来なくっちゃ。試験は書かなきゃ何も始まらないのだから、とにかく書くこと。それで×でも仕方ないじゃない。戦った結果なのだから。自らの意見をアピールできたのだから。その正統性は当然問われるにしても、アピールしなければ何事も始まらない。
 試験というのは一般の教師主導型の授業を行っている場合には、生徒側から自らの読みをアピールする数少ない場面だ。教師主導型の授業なのだから、教える内容は100%生徒に伝わるのが標準である。しかし、生徒の解答は満点でも取らない限りほぼ不完全である。ならば、その授業はどこか問題を抱えていると考えるべきであろう。定期考査というのは、教師にとっては形成的評価として捕らえるのが正しいと思う。もっとも、試験で応用力を試すような問題を出題しているのなら、上記の図式は完全には当てはまらないけれど。
 今回の試験の「死にたまふ母」の箇所は私が出題した。何しろ私は授業で生徒に仮想定期考査問題を作成させているからね。彼らの作った問題を上回る問題を作題せねばならない。気合いが入りましたよ。おかげで生徒がびっくりするような問題になったと思う。でも、私が教えている生徒はその問題にひるむことなくしっかりと取り組んでくれていた。よかった、よかった。さすが、である。