源氏物語の授業

 6組での授業。このクラスは口語訳に入ったばかりなので、ゆっくりと口語訳を進めていく。今日は第1段落と第2段落を訳し終えた。適当なまとまりごとに生徒に指名して訳させるのだが、生徒は相変わらずまあまあきれいに訳していく。全員がこんなに訳せるのならば、私の授業などいらないな、と思ってしまう。
 古典における訳文とは訳す者一人一人が作りだしていくものだ。私が訳す訳文の一文字一文字が絶対なのではない。私のものだって、一つの解釈の形に過ぎない。絶対なのは本文だけ。それを、文法的や内容的に大きく間違っていない限り、どのように訳しても問題はない。意訳はあまり好ましくないと思うが、そうでない限りは自分の訳文が一番いいものだ。そう思うのだが、生徒たちは私の訳文の一文字一文字を忠実に写し取っていく。うーん、これは「古典」の授業ではないでしょう? 訓詁注釈のスタイルではないのだからね。
 まあ、今回の授業では内容読解を生徒に自由にやらせたから、まだ救われるけれどね。