評論の授業

 4組と9組での授業。4組はすでに本文の文章構造を図示することをさせているので、今日はそれを使って、さらに文章構造を明確にしていく。
 次のような流れで授業を行った。

  1. まだ図示を終えていない生徒が大半だったので、10分ほど時間を与えて図示をさせる
  2. 文章全体として、筆者が一番言いたいことはどの段落に書いてあるか、自分の図に印をつけさせる
  3. 評論文の形式=頭括式、尾括式、双括式を確認し、この文章がどれに当たるかを考えさせる
  4. この文章が「双括式」であることを理解させ、さらに要の段落は2段落であることを指摘する
  5. 第2段落の内容を整理し、ここに表れる「主観」と「対象」の対立関係を理解させる
  6. 「主観」と「対象」の対立関係が他のすべての段落に表れてくることを指摘する
  7. それぞれの段落において「主観」と「対象」の対立がどのように表れているかまとめさせる

 うーん、盛りだくさんの内容だ。そのせいだろうか、生徒の反応は今ひとつだった。
 何しろ2番目の、筆者の主張が表れる段落を生徒に聞いていったのだが、こちらの想定とは違う答えが連発され、これで調子が狂ってしまった。まだ生徒には主張が述べられている段落を的確に見分けることができないらしい。
 評論文の形式を生徒に挙手で問うたところ、こちらの予想通り、尾括式というのが一番多かった。そこから、主張が表れている8段落の内容と同じことを2段落が述べていること、そして2段落は末尾に近い12段落の内容をも先取りしていることを指摘する。しかし、生徒の答えでは、主張が表れる段落が11段落だと答えられたのにはまいった。どうやら双括式の議論を展開する前に、段落同士の関係性の読み取り方を教えなければならないようだ。
 何とか上記の活動は終えたけれど、理解は難しかったろうな。授業が終わった後、ある生徒が「疲れた−」とつぶやいていた。授業で疲れるのはもっとも望ましいことだと私は思っているが、今日の疲れはちょっと性格が違うようで、残念である。
 9組は図解の最初の時間。いろいろと指示をして、図解をさせる。ある生徒が授業後に図解の結果を提出した。一種のイメージマップのようなもので、非常に独創的でよいものだ。しかし、この図解でも要となる段落を取り間違えている。うーむ、明日の3組ではこのあたりを注意してやらせないとね。