授業開き

 ようやく4組と9組の授業の1時間目である。2週で3コマはこういうことが起こる。そのために、授業が始まって早1週間が過ぎているのに、ようやく授業開きなんかやっている。それでも、特に現代文の学習を始める前にはいろいろと考えて欲しいので、あえて授業開きを行った。
 今年は4組に留学生がいる。そのため、他のクラスでやるように昨年の授業を振り返るということはできない。それもあったし、私自身が確認したいことでもあったので、生徒に「現代文は何を学ぶ科目か?」というお題で意見を書いてもらった。そして、「今年1年、現代文で何を学びたいか?」というお題でも意見を書いてもらう。その後で、私の考える現代文という科目の意義を話す。そして、最初の教材の導入をする。
 生徒が書いた意見の中には「感受性を磨く」とかいうものがあった。私は、これには応えられないと思う。感受性を磨くのは自分自身の努力である。授業が扱うことではない。「様々な文章を読んで自分の意見を持つようにする」というものがあった。これこそが、私の考えと近いものである。現代文とは言葉の力を伸ばす科目なのだろう。その言葉の力の一つの到達点として、自分の意見を持つということがあると思う。さらにその意見をどう表現するか、というところも現代文の範疇である。それらについて、生徒といっしょに考えていこう。悩みどころである。

 9組では3組と同じように、昨年1年間の学習をマップを使って思い出させ、それによって現代文で学んできたことを確認させた。そして、今年の抱負を書かせた。
 現代文という科目はさまざまなアプローチができる、実に柔軟性に富む科目である。それは裏返せば、定番の教え方がないということでもある。教師はそれぞれの考えに従って教え方を工夫する。私の場合はプリント学習ですね。そこに、現代文の授業の独自性が生まれてくるのだろう。
 今年はこの私自身の定番の教え方を打破しようと何とかもがいてみた。だが、なかなかそれは難しいことがわかった。私なりの教え方は、やはり私の考えのパターンに見合ったものなのだろう。まあ、変わることを恐れることなく、新しいことに挑戦しつつ、自分らしい授業を作り上げていきたいものだ。