疾風怒濤の日は続く

 今日も変わらず疾風怒濤の1日だった。行事としてはさほど忙しいわけではない。しかし、個人的に忙しい日だった。何が忙しいって、教材研究が主である。私は実は教材研究にかなり時間のかかる方なのだ。

 というのは、教材研究をするとき、いつもある本質的矛盾に頭を悩ませている。私は、国語という教科は言語運用能力を高めることがその本務だと考えている。そしてその言語運用能力とは多くの場合情報活用能力に近い。従って、国語という教科指導と情報教育とは親和性が高いのである。特に現代文ではこのことが言える。古典ではこれに、古典作品の世界を原文を通して味わうという目的が加わる。

 ところが、現場の教室ではこうした考え方が通用しないのである。自分自身もつい口にしてしまうが、受験のための国語に求められるのは評論読解能力と古典の解釈能力である。センター試験向けには小説の解釈能力も加わるか。要するに読解に異常に偏っている。そして生徒も、国語とはそういう教科だという認識でいる。こうした現場での要求と、自分自身の考える国語教育の目標との矛盾にどう折り合いをつけるか、というのが最近の私の悩みの種なのだ。

 もっとも、現場の要求にあまり耳を貸さず、自分は自分の求める国語教育を展開する、そしてそれこそが現場の要求に誠実に応えることになる、というのが私の信念の一つでもある。昨年から始めた読書指導はその一環だ。かつてはディベートをかなり熱心に行ったこともある。そして、たとえ進学校であろうとも、言語運用能力こそは生徒にとってぜひ身につけて欲しい力なのだと確信している。

 というわけで、今年も矛盾を抱え込みつつ、時に足がふらつきつつ、授業を行っていこう。何となく方向確認ができたようだね。「国語教育を実技教育にする」、池田修先生の至言だが、これは我が勤務校でも通用するのだ。