「水の東西」の授業

 2組での2時間目。問題の第3段(「見えない水と、目に見える水」についてのところ)の説明に入る。しかし、プリントが総花的に問題を羅列してしまったせいで焦点がぼけてしまい、さあこれからまとめに掛かるぞー、というところで時間切れとなってしまった。うーん、失敗失敗。やはり評論の場合も、レベルの違いを明確化したプリントにすべきなのかなぁ。一つの表現を理解するために、副次的な事項を確認しておかなければならない。それを同一レベルで扱ってはいかんよなぁ。そもそも、副次的な事項の確認など、プリントの問題として扱うべきではないのかも知れないね。評論文の全体の流れを確認しつつ、核となる質問をいくつか設定するだけで十分なのかも知れない。後は要旨をまとめてみたり、その文章に対しての批評をしてみたり。
 ちょっと、今回のプリントでは頓挫してしまった。