「舞姫」の授業3時間目

 今日は2つのクラスで現代文の授業があった。9組と7組であった。どちらもほとんど同じ進度である。前回は冒頭の「石炭をばはや積み果てつ。」の解釈で終わっていた(9組は若干もう少し進んでいたが)。
 そこで主人公がドイツへの往路と復路で同じセイゴンの港にいながら、5年前は「幾千言をかなしけん」とあるほどたくさんの紀行文を書いたのに、今は日記も白紙のままである理由を2つ探させ、どちらも否定していることを確認した。そしてその理由が「人知らぬ恨み」であることを確認した。さらにそれが、

  1. 初め=「一抹の雲」
  2. 中ごろ=「腸日ごとに九廻すといふ惨痛」
  3. 今=「一点の翳」しかし折に触れて思い出す

となることを指摘した。
 しかし、ヨーロッパを離れたばかりの「初め」の時期が、エリスを棄ててきた苦しみが「一抹の雲」と表現されるほど少なかったのは何故なのだろう。私はそれを、日本へ帰れるという喜びがあったからだ、と説明しておいたのだが……。
 その後、主人公がこの恨みを詩や歌に表現しても消すことができないと言っているのに、文章として表現する理由を考えさせた。エリスを棄てて苦悩する自己を認識し、そのことにより自己回復を図ろうとしていることを説明した。
 その上で第2段・第1節を範読し、太田豊太郎の人となりをまとめた。
 うーむ、これだけの内容なら1時間かかるのも無理はない。しかし、残り時間は余り余裕はないし、やや急がなければならない。