シバリのあるビブリオバトル開催記

 4月14日(土)に、久しぶりにビブリオバトルを開催した。イベントとしてのビブリオバトルである。場所は見附市図書館。3年前に県立図書館の行事の一環としてビブリオバトルを開催したが、それ以来のものである。
 大まかな進行は3年前のものとほぼ同じである。ただ、今回は1つの点が大きく違った。それは、今回は「シバリ」のあるビブリオバトルであった。具体的には、著者を事前に指定し、その著者に関する本を紹介するという形のものである。指定された著者は、主催者である見附市図書館の館長さんから指定された。養老孟司氏である。
 実は、この見附市図書館では5月に養老孟司氏を招いての講演会を予定している。主催者にお聞きしたところ、これまでも谷川俊太郎などの著名な方を講師に招いているのだそうだ。そして、小説家などを招いた際には、その前段階として小説家の作品に関わる勉強会や読書会のようなものを開催していたそうだ。しかし、今回は養老孟司氏である。氏の著作にまつわるもので何か会を開くにしても、今までのようなやり方ではあまり馴染まない。そこで、いっそビブリオバトルにしてみたらどうだろうか、それであるならば、3年前に県立図書館でコーディネータを務めた私にやらせよう、という考えで、私にこの話が舞い込んできたのである。
 この話の打診があったとき、私はかなり渋った。というのは、不勉強にも今回のように著者を限定したビブリオバトルなどあり得ない、と思い込んでしまったからだ。ビブリオバトルはバトラー自身が読んで面白いと思った本を持ち寄ることに、その生命があると考えている。読まされた本やあまり関心のない本を紹介しても、一時の場を過ごせるかもしれないが、生き生きとしたビブリオバトルにはならないだろうと思う。よって、著者を限定してしまう今回の企画は、ビブリオバトルの生命を封殺するようなものだ、と考えたのだ。しかし、主催者の館長さんの実に熱心な説得を受け、それほど言うのならやってみようか、と引き受けた話だったのだ。
 もっとも、これは私の完全な不勉強である。承諾した後、ビブリオバトルの文献をいくつか読んでみた。そうしたら、ちゃんと「テーマ」を絞ったビブリオバトルや「シバリ」のある(著者などを指定する)ビブリオバトルが全国各地で行われていることが分かった。しかも、今回のようなイベント的な性格のある場ならば、テーマ・ビブリオバトルやシバリのあるビブリオバトルは功を奏するだろう、とも記されていた。いやはや、不明のいたすところであった。そこで、今回の企画に沿って実施することで、私にとってもビブリオバトルの新たな面を開拓できるのではないかと思ったのだ。
 実際蓋を開けてみて、まさしく私の心配は杞憂に終わった。著者のシバリのあるビブリオバトルは大盛況だった。参加者もバトラーも主催者も、みんなが満足できる会になったのである。これは、まずは主催者の企画力、そして人選が功を奏しているだろう。まずは企画力である。ビブリオバトルを開こうと発想した点、それを著者のシバリのあるものとして計画した点、さらにその著者が養老孟司氏という、実に様々な分野の本を著されている方である点が、全てよい方向に寄与してくれた。4名が4名とも、それぞれの個性に応じた本を選択し、紹介してくれた。素晴らしいものだった。
 次に人選の妙である。バトラーとして選ばれたのは私を含めて4名だったが、他の3名は主催者である館長さんが名指しで選んだ方々である。一般市民にもバトラーの募集はかけたのだが、保険の意味でも3名に声を掛けておいたそうだ。その方々が3名とも素晴らしかった。バトラーは初体験であるが、私が見本として演じた後、それぞれに個性豊かに本を紹介してくれた。年齢も年配の方から30代まで、男性2人に女性1人、図書館主催の読書会などに参加されている方々などである。これらのバトラーの紹介がとても良かった。
 こうした環境の良さ、気軽さに助けられて、私も伸び伸びとコーディネーターを務め、またバトラーを演じることができた。残念ながら、今回もチャンプ本に選ばれることはなかったけれど、参加された30名ほどの一般の方々の反応も良く、終始伸び伸びと進めることができた。とても気持ちが良かった。
 終わった後、バトラーが紹介した本は全て図書館から借り出されていったそうである。そうしたことのお役に立てれば嬉しいし、また、5月に予定されている養老孟司氏の講演会への参加者が増えれば、これまた嬉しいことである。
 私としては、著者のシバリのあるビブリオバトルを実際に体験できて、その可能性を実感できたことが一番の収穫だった。
 ちなみに、私が紹介したのは以下の本である。

身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編

身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編

Dropboxの哀歓

 授業始まりの1週間が終わった。いやぁ,予想以上の疲労度だ。いかに自分の体力が衰えているかをまざまざと思い知らされる。特に水曜日はひどかった。後期の水曜日は2限から4限の3連続授業になってしまったのだけれど,これが終わった後で両脚が筋肉痛になってしまった。もう痛いやらだるいやら。お風呂に入ったときによく揉みほぐしたり,湿布を貼ったりして何とか対応した。今日の3限で1週間の授業が終わったのだけれど,もうぐったりしてしまった。体がなまっているね。このリズムを1か月ほど続けて,体を慣らしていかないと。
 そんな中,困ったことが起こっている。wordで文章を作成しようとすると,ローマ字入力で入力する先から確定してしまうのだ。だから,「幼児教育」と打ちたくても「yおじkyおいkう」みたいな感じで確定してしまう。以前にも同じ症状が出て,Facebookで助けを求めたところ,それはDropboxが原因だと教えてもらった。Dropboxはファイルを共同編集できるようになっていて,word文書の画面にDropboxのバッジが表示される。しかし,それがwordの何かに障害を起こすらしい。それで,Dropboxの設定でバッジを表示させないようにすると改善されるというのだ。前の時はそのとおりに設定して解決していた。しかし,最近また同じような症状が発生している。もちろんDropboxの設定は変更していない。つまり,バッジが表示されないようになっている。それでも同じ症状が起こるのだ。
 Facebookに書き込んで助けを求めてみたが,今回はどなたも反応していただけなかった。それで,自分でwebを調べたところ,Dropboxを終了すると改善される,という書き込みがあった。そこで試してみたところ,何と劇的に解消されたのである。ちなみに,Dropboxを再度起動させた状態でwordを使ってみたところ,見事に症状も再現された。これはもう間違いないだろう。
 万歳というところなのだろうが,これは私には非常に困る事態である。私はDropboxのヘビーユーザーというか,Dropboxにかなり依存しているユーザーである。容量こそ多くはないが,私が通常使用するファイルのほとんどすべてをDropboxの中に入れている。つまり,Dropboxが完全にUSBメモリと同等の役割を果たしているのだ。よって,Dropboxが使えないというのは非常に,非常に困る。他のクラウド・サービスに乗り換えるという手もあるが,One driveは使いにくいし,Google driveは今ひとつ使い方が分からないし,AppleiCloud driveはAppleのアプリ用のファイルでいっぱいだし,さぁて困った。
 今のところ,wordをできるだけ使わない方向で解決を探ろうとしている。しかし,どうしてもwordでファイルを受け渡ししなければならない場合があるからなぁ。その時には,Dropboxを終了するか……。やれやれ,困ったものである。どちらにお願いしたらよいのだろうね? Dropbox側? それともMicrosoft

後期の授業が始まった

 後期の授業が始まった。今週から本学では後期が始まったのだが,私の担当する授業の中で,授業らしいものは今日からいよいよ始まった。しかも,2限から4限の3コマ連続(もちろん昼休みははさむけれど)だった。3コマ中2コマは言葉指導法Ⅰ,最後の4限は国語だった。
 言葉指導法Ⅰは昨年の内容をほぼ踏襲するつもりだ。昨年,初めて「絵本探究」を取り入れた。こちらが指定する絵本についてグループで様々な角度から調べさせてまとめ,発表させる内容である。少なくとも昨年は,学生からの感触は良いものだった。まだ始めたばかりだし,今年も継続して行ってみたい。
 国語は,今まで3年間続けてきた内容を大きく変更させる予定である。今までよりもよりリーディング・ワークショップに取り組む授業とする。今まではどちらかというとライティング・ワークショップの要素が強いものだった。最後に創作をさせることを基本とし,その創作の代わりにブックトークやらインタビューやらをやってもいい,という位置づけであったと思う。今年から別の教養科目の授業でライティング・ワークショップを取り上げているので,この水曜4限の国語の授業ではリーディング・ワークショップに特化した内容にしようと考えた。
 今日はそのガイダンス。高校までの国語の授業の課題を指摘し,それを補うのがこの「国語」の授業なのだということを話した。私が今までの国語の授業の課題について話をすると,多くの学生が「ああ,そう言えば」という顔をする。指摘をすれば,みんなその矛盾に気付くのだ。しかし,生徒として授業を受けていたときは,「こういうものだ」という意識しか持たなかっただろう。それは教員も同じだ。自分たちが受けてきた授業,研究や授業公開などで見ることができた授業,それを再生産することしか思い浮かばない。いや,私だってそうだったのだ。だから,別のあり方があると知ったとき,私は衝撃を受けたのだ。
 学生たちにこうした思いを味わわせることができたかどうか分からない。彼らは国語教師になろうとしているわけではないからなぁ。もしかして,幼児教育においても我々の認識を覆す教え方・学び方があるのかな? それはワークショップ型授業の方向性にあるのかな? 少し興味深いところである。
 それにしても,iPadのOSをiOS11に変えてから,不具合が連発している。今まで使えていたポインターは認識しなくなるし,タイマーとして便利に使っていたアプリも非対応になった。タイマーは別のものを探すとして,SATECHIのスマートポインターは便利に使っていただけに,ちょっとショックである。さて,代替をどうしようかな。

相変らず資料作成を…

 昨日に引き続き,今日も昨日作成途中だった資料を作り続けていた。何しろこちらは締め切りが近いものだから,何はともあれ完成させなければならないのだ。ややドタバタはしたものの,先ほど無事,入学前教育の資料は完成した。やれやれ。よかった。
 ドタバタとは,実はMacOSに関することなのだ。MacOS High Sierraがついにリリースされた。MacBook Proにインストールしてみて調子が良かったので,職場のiMacにもインストールしたのだ。綺麗なデスクトップピクチャに心癒されながら,さあ資料作成の続きをやるぞと意気込んで取り組んだものの,Wordの挙動がどうもおかしい。日本語入力を受け付けないのだ。ローマ字入力で日本語を入力していくのだが,入力した先から確定されてしまう。変換前なのに,だ。よって,どんなに打ち込んでもひらがなが延々と続くばかり。これはおかしいと思い,Pagesで試してみたら,問題なく入力できる。今,こうして書いているSafariも問題ない。OSの日本語でも,ATOK2016でも症状は同じ。ということは,多分Wordがまだ新OSに対応していないのだろう。アップデートをかけたが,新しいアップデータは提供されていないらしい。いやはや困ってしまった。
 仕方なく,資料作成はもともと大学から提供されているWindowsマシンで作成した。普段の環境で作成できなかったものだから,違和感が半端ない。全く,これでだいぶ作業効率が落ちたよね。
 Microsoftさん,どうかOfficeのアップデートをお願いいたします。

入学前教育の準備など

 25日・26日と今年のゼミ旅行に行ってきた。訪問先は軽井沢! もちろん,私は初訪問である。中軽井沢町にある「絵本の森美術館」と「エルツおもちゃ博物館」を見学してきた。どちらもとても興味惹かれるものだった。特に,『不思議の国のアリス』関連の展示は興味深かった。数々の挿絵が展示されていて,アリスの裾の広がりを実感できた。また,ドイツのエルツで作成されている手作りの木のおもちゃの展示も楽しかった。学生に訪問先の選択を任せたのだが,良いチョイスをしたものだ。宿泊はログキャビンという貸別荘のようなところ。ここも,屋外での自炊はびっくりだったが,学生たちも満足していたようだった。2日目は,私は足が疲れた、と言っておこう。
f:id:beulah:20170925161329j:plain
 明けて今日,出勤して,ともかくも資料づくりに追われた。入学前教育の準備で,私が夏期休業中に作成すべき資料が5種類ある。その内,1種類はすでに作成済みだったが,残りの4種類の作成に今日1日は没頭した。残念ながら1種類を残して今日は時間切れ。それでも,ずっと懸案だったこの資料を作成し終えたのは嬉しかったなぁ。集中すれば3種類くらいは何とか作成できるのだね。しかし,なぜかこの集中できる時間を確保するのが難しかったのだ。夏期休業中なのに? いや,今年の夏期休業期間はしなければならないことが目白押しで,なかなかまとまった時間が取れなかったのだ。
 このことは追々別記事で書くとして,ともあれ今日は懸案の資料を作成し終えたことを素直に喜ぼう。ただ,もう少し時間をかければ、この資料ももっとビジュアルに分かりやすくすることができたかもしれない。今後も改訂していくことが必要だろう。

何が話し合いを活性化させるのか?

 非常勤で教えている短大での授業があった。『ギヴァー』のブッククラブを行っている。1冊を4回の授業で扱うこととし、事前に指定された範囲を読んできて、授業中は本の内容について自由に話し合いをさせている。読書会形式のリーディング・ワークショップである。昨日は、その4回目。いよいよ『ギヴァー』の最後の場面を扱うことになる。
 正直言って、このブッククラブの授業は失敗だったと思っていた。今までの3回、残念ながら学生たちはあまり話し合いをしなかった。中には活発に話し合っているグループもある。しかし、多くはあまり話し合いが活発ではなかった。まず、事前に読んでくる者が少ない。読んでこなければ、そりゃぁ話し合いも進まないよね。話し合いとして割り当てていた時間中にようやく本を読んでいる者が結構いた。また、話し合っていたとしても、事前にしっかり読んできた者の話を周りが感心して聞いているグループもある。私は昨年、同じ形式で本学の学生に対してブッククラブを行った。その時も、確かに話し合いに乗っていないグループはあったし、読んでこなかった者もいた。しかし、130名の大半がしっかり読んできてくれ、話し合いをしているので、そうした学生やグループは少数派であり、あまり目立つことはなかった。また、周りがしっかり読んできて話し合いをしているので、最初は読んでこなかった者も次はしっかり読んできたりしてくれていた。だが、読んでこない者、話し合いに参加しない者の方が半数ほどいるのではないかと思われるクラスの場合、そうした自浄作用は働かない。この3回の授業、どうやって話し合いを活発にさせるか、ずっと悩んできた。彼らは、ふりかえりには、よく話し合いができたとか、面白い内容だったとか書くんだけれどね。
 しかし、この4回目の授業は違った。大半の者が活発に話をしていた。もちろん、まだ話し合いに乗ってこない者・グループはある。しかし、少なくとも半数以上の学生は話し合いをしており、見た目は活性化されたように思う。果たして何が違うのかな? 今回の授業で、これまでとは違うとしたら次の条件だ。

  1. 扱う範囲が小説のラストであり、これまでの謎がかなり明らかになる。(無論、まだ謎は残るはずだが)
  2. 前回、「よい話し合いの条件」を確認した中で、「甘いものがある」を紹介したので、今回はお菓子持参を許可した。学生たちは結構お菓子を持ち込んでおり、食べながら話をしていた。
  3. 今回はBGMをかけた。琴によるJ-Popのもの。今まで、ジャズのBGMをかけた回があったが、その時とは違って親しみのあるメロディだった。

 異なる条件としては、以上である。これらが複合的に作用したのかな? うーん、謎である。ただ、2と3の条件はやはり意味が大きいのかもしれない。確かに今回は、話し合いをする雰囲気がゆるいもので、まさにカフェにいるときのようなリラックスした感じを醸すことができたのかもしれない。
 もしそうだとしたら、彼らは予想以上に学習に対する思い込みに縛られているのかもしれない。学習するにはしっかりと机に向かって教師の話を聞かなければならない、という思い込みである。その思い込みから、自分自身がなかなか離れることができないために、自由な発想や話し合いが阻害されていたのではないか。今回は、まるで授業ではないような雰囲気を多少は作り出すことができたのだろうか。だからこそ、普段の素直な発想や話し合いを引き出すことができたのだろうか。
 うーむ。だとしたら、彼らに対する見方を改めなければならないな。もしかしたら、彼らは決して話し合いに乗ってこなかったのではなく、話し合いをするための条件が整わなかっただけなのかもしれない。つまりは、今までの授業の構造が彼らの能力の発揮を押さえ込むフレームを持っていたのかもしれない。うーん、これをどうやって証明できるかな?
 今回読んだ本。(もう何度も紹介済みですね)

ギヴァー 記憶を注ぐ者

ギヴァー 記憶を注ぐ者

 BGMに使った音楽。久しぶりだった。
LOVE BALLADES/ちょっとひとりKOTO2

LOVE BALLADES/ちょっとひとりKOTO2

『ギヴァー』のブッククラブの授業の準備

 非常勤で教えている短大での授業は、ここしばらくブッククラブを行っている。読ませているのはもちろん『ギヴァー』である。明日の授業で4回目になり、これで最後まで読み終えることになる。
 今回は、ミニレッスンとして「優れた読み手が使っている方法」を取り上げ、その内のいくつかを教え、試させている。取り上げたのは「関連づける」「イメージを描く」、そして明日は「推測する」だ。本当は「何が大切か見極める」や「解釈する」「批判的に読む」なども取り上げたいところだ。しかし、「何が大切か見極める」のレッスンは、ノンフィクションを読んでいるときに一番効果的にレッスンすることができると思われたので、今回はパスした。他の2つも、余裕があれば取り上げたいが、時間切れだ。それに、何よりもこの授業は「国語表現法」であり、「読む力」を主に育てるものではない。とはいえ、「読む力」も「書く力」も密接につながっているのだけれどね。ともかく、より直接に「書く力」をもっと伸ばさせたいところなので、涙をのんでミニレッスンの内容を精選した。
 こうして、授業を一から創り上げるのは面白い。当然、取り上げる全てが連関し、全てが目的に向かって進めるものとなる。今回も、残っていた7つの方法からどれを取り上げるか、そして、そのレッスンの方法として何が適当か、学生の現況を何よりも参考にしながら、考え、計画した。また、それが功を奏するかどうかも、自らに跳ね返ってくる。そうした一切が自分自身の頭と手によるのだ。そのために、もちろん時間がかかる。今日から実習がスタートし、時間に余裕ができたので、今日の午後の時間は明日の授業の準備に捧げることができた。しかし、そうした時間的な余裕がなければ、到底できない相談である。
 教員が忙しいとろくなことはない。特に、何にしわ寄せが来るかというと、授業に、だ。一般的に今日の教育の現場では、教員にとって一番大切な授業が、最も疎かになっている。こうして大学に来て、授業を一から創り上げることをほぼ毎日行っていると、そうしたことが痛感される。制度的に、根本から見直すべきだと思うけれどね。