FD研修会でロイロノートスクールの使い方をお話ししました

 今日、私の所属します大学・短大合同のFD研修会が開かれました。そこで、ロイロノートスクールの活用法について講師として説明してほしいと依頼されていました。今、その講習会を終えてきました。相変わらず、楽しかったです。
 7月に2年生の授業でロイロノートスクールを活用して授業を行いました。その際に使った方法を2つ、そして、ロイロノートスクールでできそうなことを1つ、紹介しました。使った方法は以下の2つです。

  1. 学生の意見を即座に集約し、一覧表示して、意見交流を行わせる
  2. プレゼン資料を作成し、クラス全体で鑑賞する

 これらの2つは、ロイロノートスクールの得意とするところです。アプリ内で作成したカードに自分の意見を書き、それを提出させます。その意見を一覧表示して特徴的なものを取り上げたり、複数の意見を比較表示して比較させたりします。また、写真や教員が用意した画像を使ってプレゼンの作品を制作させます。この作品制作が極めて容易にでき、提出させて一覧表示することで、クラス全員で鑑賞できます。
 私が今回の教員向けの研修で用意した課題は以下の3つでした。

  1. アイスブレイクとして:今日の研修会にどんなことを期待して参加しましたか?
  2. ロイロノートスクールの機能を一通り体験した後で:ご自分の授業で、ロイロノートスクールをどのように活用できそうですか?
  3. 4枚の画像ファイルを用意して:これらの画像を適切な順番に並べ替え、セリフを自由に入れて、簡単な紙芝居風の作品を制作してください。

 参加してくださった本学の教員は50名を超えました。学長、副学長、常任理事の先生方も参加してくださり、なかなかの盛会となりました。上記の課題を次々に繰り出し、適宜解説を入れたりして進めていきました。ほぼいつもの授業のノリで話しができたのですが、先生方も積極的に参加し、手を動かしてくださったので、ほぼこちらの予期通りの内容の研修会ができました。参加してくださった先生方、ありがとうございました。
 私がiPadなりタブレットなりを使って授業をするにあたり、一番やってみたいのは学生同士による作品(or意見)の共同制作です。一つのiPadの画面を複数で共有し、各自がそれぞれの端末に同時に書き込むことで、1つの作品を制作していく。こうしたことができたら良いなと思っています。私の知る限りでは、ロイロノートスクールはそこまではできないようです。今回試してみた活用法の3番目として、カードを生徒間で送り合う、という機能を試してみました。それが十分に機能するということがわかりました。しかし、完成したカードを送ることはできますが、同時進行で複数で書き込むということはできるのでしょうか? 私の知見では、それができるのはMetaMoji Shareだと思います。ロイロノートスクールでもできるのかな? 知っている方がおられたら教えてください。
 ともあれ、ここしばらくの懸案事項だったこの研修会も無事終わりました。少しでも、ロイロノートスクールを活用する先生が増えてくれれば嬉しいです。
f:id:beulah:20161017181325p:plain

『ギヴァー』のRWの授業1回目

 いやぁ、前回の書き込みからあっという間に1週間が経ってしまいました。授業が始まると毎日が忙しく過ぎていき、書き留める余裕もないほどです。しかし、書き留めることはとても大事だと思うので、頑張って書いていこうと思います。
 さて、今日はRWの授業、中でも『ギヴァー』のブッククラブの授業の1回目でした。期待と、私にとって初めてのブッククラブの授業であることの不安と、ドキドキしながらこの時間を迎えました。結果的に、私の期待以上に学生たちは話し合ってくれました。
 はじめに前回の授業のふりかえりをしました。学生たちが書いたふりかえりの抜粋を読ませ、友人たちの思いを共有します。そして、私が若干のコメントを加えます。同時にそれは、今日の内容への橋渡しにもなります。
 ミニレッスンでは「良い話し合いのために必要なこと」と「開いた質問と閉じた質問」について考えさせ、紹介しました。ブッククラブの意義を紹介した後、「良い話し合いのために必要なこと」は何かをグループ内で話し合わせました。その後、例として13のことを示しました。さらに、「本について話し合う内容」についても考えさせ、話し合わせました。そして、「開いた質問と閉じた質問」について紹介し、どちらが「良い話し合い」にとって重要かを考えさせました。学生はほとんどが「開いた質問」が大事だと答えました。もちろんそうなのですが、場合によっては閉じた質問も必要です。場合によるけれど、確かに「開いた質問」は話し合いを楽しくするねと確認しました。
 その後はいよいよブッククラブです。30分間、『ギヴァー』の第1章〜第6章の内容について自由に話し合わせました。3人〜5人の小グループになるよう指示し、特に司会を立てる必要がなく、記録する必要もなく、自由に話し合いをさせました。その間、私は時折学生たちの中に入って耳を傾けたりしていました。学生たちの様子は目覚しいものでした。ほとんどのグループが本の内容について活発に話し合いをしていました。中には6章以降も読んでしまった者や映画化されたDVDを見てしまった者などがいました。しかし、彼らもネタバレさせることなく、疑問を提示したり、内容を確認したり、内容の意味について問うて見たり、自分の考えを述べたりしていました。確かに、話し合いに参加できない者が数人いたことは事実です。しかし、30分間ずっと参加しないのではなく、グループメンバーに促されて話し合いに加わったりしていました。予想以上の食いつきでした。
 共有の時間では、話し合った内容ではなく話し合いの姿勢・態度がどうだったかについてグループ内で確認し合わせました。出された意見に共感できたが、反対意見が出てこなかったので、次回は言えるようにしたい、という感想を持ったものが多いようでした。
 第1回目はまずまず順調な滑り出しができたようです。次回はどうなるか、楽しみです。『ギヴァー』の核心に次第に近づいていきますので、話し合いも一層乗ってくると思います。

リーディング・ワークショップの授業開始!

 今日から授業が本格的に開始しました(私的に)。その中で、「国語」の授業もスタートしました。この「国語」において、私はリーディング・ワークショップを中心とした内容を行います。
 今日はガイダンスということで、この授業の趣旨、そして授業の進め方、今後の予定などを話しました。最初にしなければならないことは「国語」という科目名から受けるイメージの打破! です。この科目名が「国語」となっているために、学生はおそらく高校での国語の延長のものであろうと予想していると思います。そこで、この授業が高校での(一般的な)国語とは全く違う内容を扱うことをガン! と述べます。一般的な高校の国語の授業は、やはり「正解当てゲーム」であると言わざるをえません。扱う文章について、教師が何らかの「正解」を持っていて、それを「発問」という形で生徒に問いかけ、生徒の答えを誘導し、教師の用意した答えにたどり着いたら「正解!」となります。試験も、教師が授業中に伝えた「正解」をどれだけ覚え、再現できるかを競っています。このようなやり方では、どう逆立ちしても「国語の力」を養うことはできません。短大は90分授業とはいえ週1回です。半期で15回。その中で「保育者として必要な国語力を身につけ」させるためには、高校までの国語の授業などやっていられません。
 そこで、この授業ではリーディング・ワークショップ(という用語は特に伝えませんが)を行うことを説明しました。毎回の授業の中に、学生たちが自分で「読む」「書く」「話す」「聞く」時間を30分前後確保する、その時には大いに読み、書き、話して欲しいことを伝えました。読む内容、書く内容も基本的に自由です。自分の読みたいものを読み、自分の書きたいことについて書く、その自由決定権を保障し、読み書きに費やす時間をきちんと確保してこそ、国語の力は伸びていくと確信しています。
 今年は最初に4回ほど時間をかけて「ブッククラブ」をさせようと考えています。学生たちに本の決められた範囲までを読んでこさせ、その内容について自由に話し合わせるのです。読んでいく本は下のものです。

ギヴァー 記憶を注ぐ者

ギヴァー 記憶を注ぐ者

 そして、ブッククラブを行っている途中で、1コマを使ってビブリオバトルを行うことにしました。本当はブッククラブがすべて終わってからにすれば良いのですが、諸般の事情から途中でビブリオバトルに取り組むことにしました。そこで学生には、今からビブリオバトルで紹介したい本を選んでおくように、と伝えました。そして、5分間で自分のイチ押しの本を紹介するということを、私が実演して見せました。紹介するのは、もちろん『ギヴァー』です。これをすることで、『ギヴァー』を読み進めることへの興味をかき立てるとともに、ビブリオバトルでどんなことをするのかを知らせようというわけです。
 授業の終わりに学生たちにふりかえりを書かせました。その言葉を一部紹介します。

  • オリエンテーションをしてみて、「本をしっかり読んで人前で感想を行う。」という至って簡単なことが、とても難しく感じました。
  • 高校までの国語で文章を読むのは好きだったけれど、言われてみれば、正しい解答を覚えていただけだったと思いました。解説されても疑問が残ることが多々あったので、これからが楽しみです。
  • 高校までの国語の授業を覚えているかと聞かれたときに、すぐに答えられなかった私は、あまり身になっていないものだったのかなと思いました。
  • 高校までの国語は文章を読み、質問されたら文章の中から探して答えを出すことが多く、自分の意見などをまとめる機会が少なかったと思います。だから私は自分の考えをまとめることが苦手だし、仮に考えが出ても言葉にすることも苦手なので、ぜひこの授業で自分の意見をまとめる力をつけたいと思います。
  • 高校までの国語で、いかに自分の読むこと、書くこと、聞くことの力が足りていなかったということに気がつきました。
  • 本を読むことは好きなのですが、なぜか作文はできません。自分で何かを考え、生み出すことはやりたくないし、できません。
  • 本読むのは好きなので、問題でも小説文なら解くのは楽しかったなと高校の頃を振り返ると思います。なので、この授業がすごく楽しみです。好きな本について語り合うなんて面白くないわけがないと思いました。(苦手な人には苦痛かもですが)
  • テキストが小説だったので何をするのか予想ができなかったけれど、同じ本について意見交換ができるのは楽しそうだと感じました。
  • 高校の授業はただただ文章を読んで問題を解く授業でしたが、大学の授業では本を読んでみんなの意見を聞いたり、自分の意見・考えを言ったりして討論する時間が多いみたいなので、大変だと思うけど、自分にとってプラスになりそうだと思いました。
  • 教科名が国語だったし、教科書として『ギヴァー』を使うので、高校と同じような読んで内容をつかむだけの授業かと思っていましたが、就職してからも使えそうで、授業も楽しそうな内容なので安心しました。ビブリオバトルの回がとても楽しみです。

 初回の感想なので、国語の力について深刻なものもありますし、授業への期待を語るものもあります。まあ、私が散々言った後に書かせたものなので、その内容に引きずられているとは言え、このような感想を書かせる国語教育は罪深い、と思います。この授業が彼らにとって突破口になってくれれば、嬉しいです。

授業ガイダンスの準備

 私の後期の授業は明日から本格的に始まります。今日はその準備日。じっくり時間をかけて取り組もうとしました。
 1週間の中で特に水曜日は別の種類の授業が2コマ入っています。そのため、その前日までに2種類の授業準備をしなければなりません。そのうちの1種類は昨日までにかなり準備を終えてありました。今日は残りの1種類の準備に邁進しました。それでも、作成した授業資料を改めて見直してみると、いくつか修正すべき箇所が目に付きます。それを直したりしておりました。
 ところが、お昼休みに学生がやってきて進路について相談したいとのことでした。こちらは何より優先ですので、彼らの授業が終わってから小1時間ばかり話を聞き、相談に乗りました。そのような業務をこなしつつ、何とか明日の2種類の授業準備を終えました。ふうっ、綱渡りの日々です。
 今週の授業は後期の第1回目です。授業ガイダンスが主な内容となります。私が担当する授業は高校までの国語と似通ったところもありますが、根本的に異なるところもあります。そこで、科目内容や授業の進め方の説明は十分にしなければなりません。資料をチェックしたりして、少しでも内容が良く伝わるよう配慮します。このところにエネルギーを使うのです。
 しかも、1つの科目に外部の方の特別受講を認め、募集をかけたところ、何とお一人の方が受講してくださることになりました。いやぁ、これは嬉しいですね。また、一緒に授業を受ける学生たちにも良い刺激になると思います。これは新たに与えられた学習環境です。この環境を大いに活かして、この授業を展開したいと思います。いろいろ考えるべきことは山積しています。その中で、さてはて明日の授業はどうなることか。

ゼミ旅行に行ってきました

 夏期休業の最終日、9月30日と10月1日にかけてゼミ旅行に行ってきました。場所は長野県の黒姫高原
 先週はずっと雨がちで、旅行の間の天気がどうなるかとても心配していました。私などは新しく傘を新調したくらいです。しかし、結果的には30日はまあまあ晴天となり、現地について夜遅くから1日の9時くらいまで雨が降ったものの、私たちが出掛ける頃には雨も上がり、しかも次第に晴れてきました。いやぁ、天候に恵まれた黒姫高原を見ることができました。
 1日目は高速バスや電車の乗り継いで、黒姫の貸しログハウスに泊まりました。1棟全部を貸し切りにできるところで、ゼミ員と私とで贅沢な空間を満喫しました。その中で、食事は自炊です。学生たちは鍋物を作ってくれました。食材を自分たちで買い整え、自分たちで調理し、盛りつけます。みそと塩とんこつの2種類の鍋物を作ってくれました。学生と一緒に私もご相伴にあずかり、とてもおいしくいただきました。一晩をゼミ員たちだけで過ごすことができるのは何と良いことでしょう。存分に親睦を深めているようでした。これがこのゼミ旅行の目的の一つです。
 2日目の午前中は黒姫童話館に行きました。ここには、ミヒャエル・エンデ松谷みよ子についての展示、民話の紹介、移築されたいわさきちひろの黒姫山荘などがあり、とても見応えがありました。個人的にワクワクしたのはミヒャエル・エンデの部屋です。エンデの生い立ちやその作品、そして日本との深いつながりなどが分かりました。ミヒャエル・エンデは好きなんですよ。私は特に『はてしない物語』が大好きです。また、いわさきちひろの山荘も興味深かったです。ちひろがこの黒姫の地を愛し、山荘を建てて絵を描いていたことを初めて知りました。彼女が絵を描いていた部屋や机などがそのまま保存されてあり、これまたワクワクしました。付属しているショップでの品々も素敵なものでしたね。学生たちは大喜びでした。
f:id:beulah:20161001091249j:plain
f:id:beulah:20161001112259j:plain
 童話館を出た先に広がる黒姫高原の美しい姿に圧倒されました。これが、訪れた最初は雲がかかっていましたが、次第に晴れ間が広がってきます。雲のかかった姿も晴れ間の姿も、どちらもとてもスケールが大きかったです。
 高原を散策してみたい気持ちを抑えて、午後は野尻湖を訪れました。野尻湖ナウマンゾウ博物館にも行ったのですが、ここでは十分に時間をとることができず、やや尻切れトンボで終わってしまいました。残念です。せっかく晴れになったのだから、湖の遊覧船に乗ることができればよかったのですが……。いかんせん、帰りのバス時間が早く、後ろ髪を引かれる思いで黒姫高原を後にし、ゼミ旅行は終わりました。
 黒姫童話館を訪れることとゼミ生の親睦を深めるという2つの目的をもって行ったゼミ旅行でしたが、どうやら十分に達成できたようです。

後期授業のスタート

 今日、10月3日から本学は後期の授業がスタートです。私は、さっそくゼミが再開されました。金・土と2日間にわたってたっぷり時間を過ごしたゼミ生たちと1日おいて会うのは何となく変な気持ちです。しかし、本学の学園祭が今月末に控えています。私のゼミでは模擬店を出す予定なので、その準備が欠かせません。さっそく、計画や準備について話し合いました。また、本来のゼミ生の研究についても確認をし、指示をしました。
 さて、後期がスタートです。これから来年の2月初めまで、走り抜けます!

「考えられている」と「We think」

 我が三男の最近のお気に入りは「恐竜の動画」です。彼はYouTubeで公開されている恐竜の動画を見ることが大好きです。彼のお気に入りはティラノサウルス。私や妻のiPhoneiPadを借り出しては、自分でYoutubeの映像を選び出し、食い入るように動画を見ています。ちょっと心配……。(-_-;)
 今朝も幼稚園に行くまでの時間で、彼が私のiPadで動画を見ていたのですが、ある動画の日本語の解説では「〜と考えられています。」というフレーズを使っていました。「ティラノサウルスは群れで狩りを行っていたと考えられています。」というような使い方ですね。いつもはあまり疑問を持たなかったのですが、次に彼が見た動画は英語の解説音声のものでした。それをそばで聞いていて、ふと、そのように聞こえたのか、それとも私が勝手に考えついたのか、「We think 〜」と言っていたように思えたのです。なるほど、英語なら「We think 〜」と表現するだろうな〜、と思った途端、日本語の「〜と考えられている」という表現の胡散臭さに思い当たりました。
 すぐに気づくとおり、「〜と考えられている」という表現には主語を想定できません。そうすると、そこにはそう考える人の責任がはっきりしません。それでいて、何となく一般的に認められているというニュアンスを醸し出すことができ、そのために、その「考えられている」ことが何となく真実であるような印象を与えます。これはまずいのではないでしょうか。
 学術論文でもしこのような表現を使ってしまったら、その論文は間違いなく査読を通りません。それどころか、学術論文の作法を知らない初心なお方、ということで「ふふっ」と冷笑されることでしょう(ちょっと査読への偏見が入ってる?)。論文においては、その記述の責任の所在は常に明らかにしなければなりません。その主張は誰のものなのか、著者のものなのか、それとも引用なのか。それをはっきりさせることがともかくも求められます。
 確かに、たかがYouTubeでの動画の解説文ですので、学術論文の基準を要求するのはお門違いでしょう。しかし、この映像は極めて「科学的」な雰囲気で制作されています。そして、ナレーションの中にしょっちゅう「最近の研究によると〜」というフレーズが織り込まれるのです。そうすると、これらの映像の内容は科学的な根拠に支えられた事実・真実である、という印象をどうしても与えます。それなのに、「〜だと考えられています。」と言うことで責任の所在を曖昧にしてしまうのはどうなのかなぁ、と思うのです。
 映像では恐竜たちが「ウォー」とか「ガォー」とか吠えています。しかし、この吠え声は単なる「想像の産物」のはずです。恐竜(と考えられているもの)の声帯の構造が分かっているはずがありません。また、映像での恐竜の皮膚の色も全ては「想像」であると、以前に読んだことがあります。いかにも本物らしきものが画面の向こうで跋扈跳梁していますが、それらはあくまでも「想像」のものなのだ、ということをはっきりさせるべきだと思います。我が三男は、おそらくはその映像を「本物だ」と思っているでしょうから。
 話はメディアリテラシーの問題にも発展しそうですね。こうした映像は分かりやすくて確かに説得力はあります。しかし、どこまでが制作者の想像で、どこまでが事実として分かっていることなのか、それを峻別する目を視聴者である我々は持っているべきでしょう。そして、それを子どもたちに持たせるには、やはり教育の現場しかないでしょう。

個人的には夏期休業最終日

 明日から1泊2日の予定でゼミ旅行に出掛けます。行き先は長野県の黒姫高原。そこにある黒姫童話館を訪れるのが主目的です。いわさきちひろの山荘もあり、なかなか期待できそうです。しかし、このところ不順な天候が続いているため、天気や気温が心配です。2日間、何事もなく楽しく過ごせたらな、と思います。
 今年のゼミ旅行は、このように夏期休業の最後の最後に計画しました。主に私の都合によるのですが、夏期休業中であるせいか学生たちの準備は滞りまくりました。これまでに2年間、2回のゼミ旅行を実施してきましたが、これほどに学生たちの動きが鈍かったのは初めてです。まあ、仕方がない面も大いにあります。学生たちは何しろ夏期休業中は忙しいのです。正規の実習は2週間入りますし、学生自身が計画する自主実習も入ります。休業中に集まって相談をする機会を確保することがそもそも難しいのです。そして、夏期休業に入る直前は前期の試験のため、これまた相談ができません。うーん、失敗したなぁ、と思いました。
 思えば、これまでの2回のゼミ旅行は全て11月に実施しました。これならば、学生たちは夏期休業が終わってから計画を進めても何とか間に合います。そして、学生たち自身が動き、宿や交通機関の確保、行程や携行品の周知徹底など、全部学生たちがやってきました。私は時々に意見するだけで済んできました。短大生のゼミ旅行はそうでなくてはなりません。しかし、今年は日程をこの時期にしたために、学生たちの準備活動を奪ってしまう結果になりました。しまったなぁ〜。
 ともあれ、直前には彼らはいろいろと相談して、旅行の形を整えてくれました。そのバイタリティに期待して、明日から行ってきます。というわけで、実質的に私にとって今日が夏期休業最終日となります。振り返ってみると……、今年も不満の残る約2ヶ月でしたね。自分の怠惰心を押さえつけるのは本当に困難です。何とかせねば…。

4領域を区分することに意味はある?

 今日、『教育科学 国語教育 2016年10月号』が手元に届きました。特集は「アクティブ・ラーニングの視点から考える 対話的・協働的な学びを実現する学習活動」です。「対話的・協働的な学び」とは私の研究課題にドンピシャリですし、東大の秋田喜代美先生が提言を書いていたり、石川晋氏がライティング・ワークショップの実践について紹介したりしているので、参考になるなと思って買い求めました。
 その目次を見てびっくり。最初に秋田先生の提言があるのはいいとして、その後で「対話的な子どもを育み協働的に学ぶ力をつける」という文言をそれぞれに冠して、「話すこと・聞くこと」の学習活動、「書くこと」の学習活動、「読むこと」の学習活動、と3つに区分されて提案や事例が掲載されているのです。私はこれを見てひどく違和感を覚えました。「対話的・協働的な学び」を4領域・3区分に分けて論じるのはどんなものなのでしょうか。
 「話すこと・聞くこと」の区分を少し読み、事例を見てみました。ペアスピーチの事例などがありました。それぞれはおそらく優れた実践なのでしょう。しかし、「話すこと・聞くこと」を効果的に学ばせるのは「ブッククラブ」だと、この夏の勉強で私が理解したところです。ブッククラブは一般的に「読むこと」の学習活動とされているでしょう。しかし、ブッククラブを実際に体験した者の感想としては、これは「話すこと・聞くこと」の力を存分に伸ばす活動だ(「メールによるブッククラブ」ならば「書くこと」の力を伸ばします)だと確信できます。ブッククラブを実践すると、学習者は「読むこと」だけでなく「話すこと・聞くこと」はもちろん、「書くこと」も非常に必要になります。よって、これらの力を全て、よく伸ばすことができます。そうだとすると4領域に分けることは無意味です。むしろ、これは「読むこと」、これは「話すこと・聞くこと」などと区別するのではなく、4領域の力全てを必要とし、それらを発揮することを求める学習活動に取り組ませることこそが良いのではないでしょうか。
 そして、そうした姿こそが、人が物事を理解する自然な形だと思います。あることを理解するのに、今日は「読むこと」だけを使って考えよう、次は「話すこと・聞くこと」を使おう、とはしないでしょう。あることを理解するためには、本を読んだり、人と話したり、人の意見に耳を傾けたり、知り得たことを書いてまとめたりします。その一連の活動の全てをもって、あることを理解していきます。理解するために、それに用いる力を分断するのは意味のないことです。
 事実、ライティング・ワークショップの実践を投稿している石川晋氏の原稿のタイトルは「「対話」が当たり前にある作文活動」です。つまり「書くこと」の学習活動である事例の中に「話すこと・聞くこと」が当たり前に存在しているのです。ライティング・ワークショップとはそうした活動です。確かに「書くこと」の力を伸ばすためのものです。しかし、この実践を行うと、「書くこと」だけでなく「話すこと・聞くこと」も「読むこと」も伸びていきます。それが「当たり前」の姿です。
 今夏の勉強の成果の一つとして私が知ったことは、教室で行われている授業やその内容は一般的に行われている場面や姿とは何ともかけ離れているなぁ、ということです。教室では教師が知っていることを学習者に質問(発問)し、それを学習者が当ててみせると「良い授業」だと言われます。しかし、それって「正解当てゲーム」ですよね? そんなことは私たちの会話の中にも、あるいは本を読んでいる中にも、一切存在しないことです。「正解当てゲーム」はテレビの中だけかと思ったら、何と学校の教室の中でも行われています。それは決して「一般的なもの」「普通の姿」ではありません。
 教室での学習は私たちの日常生活の中で起こる様々な学びの姿とはかけ離れたものである、このことは意識しておくべきことだと思います。そして、私たちは教室での学習にも、日常生活で起こる学びの姿(いわばそれは「本物の姿」)を取り入れていくべきではないでしょうか。何しろ子どもたちは1日の大半を教室以外の場所で生活しているのですから。
 もちろん、『国語教育』に載せられている実践事例は、たとえ「読むこと」の区分に入れられているものであっても「読むこと」ばかりを取り扱っているのではないことは重々承知しています。石川晋氏の事例はまさにその好例ですしね。ただ、雑誌の編集の仕方として3区分がドカーンとなされていることに、私はかなり面食らったのでした。